2014年4月13日日曜日

仲間達との別れ インドの旅の終わり

日記も終に3ヶ月遅れ・・・今はネパールでトレイルランニングとトレッキングに勤しんでおります

今回は一気に遅れを取り戻すために、インドの日記を一気に書き上げこれで終わらせてしまおうと思ってます


俺たちはコーチンで数日滞在した後、更に南下したところにあるアレッピーに向う事になっていた

ここまでは俺のプランにポール達が合わせてついて来た感じだったけど、ここからは特にプランが無かったので、アレッピーから更に南下したところにあるビーチリゾート、バカラで誕生日を迎えたいと言うポールのプランに乗っかることにした

そこで最初に向かったのがコーチンからバスで何時間か忘れたけど、水郷地帯の町アレッピー

この水郷地帯は現在ではバックヲーターと呼ばれ、ヤシ木の間を流れる運河や湖を行き来するボートを日常に使い、のんびりとした生活を送る人々の営みが、複雑な水路と絡みあって形成されている

そしてこれらの町から出発する水郷地帯を巡る船の旅がケララ州のハイライトといってもいい

いつものごとくローカルバスに何時間も揺られ、着くころには誇りだらけになってぐったりしてる俺たちだが、今回はのんびりしている時間がない。ポールの誕生日は数日後。それまでに船旅を経てバカラにたどり着かないといけない

バス停であったイスラエル人にゲストハウスを紹介してもらい、荷物を部屋に放り投げると、各々勝手に町の観光に出かけた


 バックウォーターの船旅を町最大の観光業にしてるだけあって町の水路は専用のボートだらけ

2時間後に再び集まり、近くのビジネスホテルのレストランに3人で食事に行った

実は俺たち3人朝から何も食べていなくて、恐らく全員が胃袋が背中にくっつくくらい腹が減っていたはずだ

各々注文をすますと、後からインド人の家族がレストランに入ってきて注文を始めた

そして数分後、後から来た彼らのテーブルに食事が先に運ばれて来たのをベノは見逃さなかった

すかさず俺とポールに文句を言い始める。いつもの事だが俺もポールも腹減ってるのは同じだし、ベノの屁理屈は空腹に堪える

2人でベノの説得を試みる「頼んだものが違うんだから、出来上がる順番が違ってくるのも当然だろ。良くある事だよ。しかもここはインドだぜ」

それでも納得のいかないベノ君は近くのウエイターにクレームを入れる

いつもと違うのは珍しく声を荒げているところだ。ねちっこい屁理屈はいつも通りだが、今日は喧嘩腰である

恐らく、慢性的な空腹感がじわじわと胃から大脳へ攻めあがって、怒りっぽくなっているのだろう

お陰で俺たちのテーブルは、風一つ無い朝靄のかかった湖のように食事が終わるまで静まり返っていた

まだ怒りがおさまらないのか、会計の時も店員にキレ始める始末。もう面倒なので放置して俺たち二人はそのまま夜の町に繰り出した

バックウォータートリップの参加の仕方は大きく分けると二つある

一つは、乗り合いのボートに乗って数時間水路を巡るという時間的にも金銭的にも余裕の無い人に持って来いの軽い船旅

もう一つは、ハウスボートと呼ばれる、宿泊施設を兼ね備えたボートを家族や仲間でチャーターして、数日の船旅を楽しむというもの

時間が無かった俺たちは前者の簡易な船旅を申し込むつもりでいたんだけど、実は宿のオーナーがハウスボートを一艘所有していて、それをコックと船頭付で破格の値段で提供できると提案してきた

普通なら一艘チャーターして数万ルピーが相場なのだが、一泊二日食事つきで2000(3400円位)ルピーで手配してくれると言うのだから、考える暇もなく俺たちの結論は出ていた

さあ、いよいよ船出

宿の前の水路からスタートした俺たちのボートは、川幅が少しずつ膨張し、やがて夏の夜空に広がる花火のように急に広がり、大きな湖とも海ともいえない、晴れて表面は、白っぽく粉が吹いたように凪いでいるデルタ地帯に出た

デルタ地帯を抜けると再び川幅が狭くなり、川岸にはヤシの木や南国特有の植物が姿を見せ始める
辺りには黒い影を牽いたボートが増え始め、水面に何万もの波紋が次々と生まれていく。恐くメインエリアに到達したのだろう

時間通りに食事にありつけてご満悦そうなベノ君

皆船に乗っている間は何をするでもなく、ボーっと遠くを眺めてる時間が多かった

 ヤシの葉のあいだから、光のかけらが星のように光っていた


 最後の陽の輝きが、錆びたような色を湖面一面に漂わせる





夕方になるとボートを岸につけて上陸

どうしても川で泳ぎたいポールは何回も俺を誘うが、生活排水と混じりあった川に入る気になれず断ってシャワーを浴びようとすると

「そのシャワーの水はどこから引っ張ってきてると思う?」。。。そんな筈はない。ベノにあっさり断られ、どうしても俺をスイミング仲間に引き入れたいらしい

そんなポールを無視して俺はシャワーを浴びた。シャワーの水を見ながら考えてしまった。。いや、その事ではなく。多分 俺 すごい 疲れている

考えてみるとここ一ヶ月信じられないくらいの量の英語を喋っている。上達には持って来いだけど、疲れる。日本語がちょっと恋しい

普段なら日本人見ても中国人の振りしてやり過ごすけど、今なら自分から話しかけてしまうかもしれん

 素敵な寝室??

体の大きさの結果、ポールは外に、俺とベノは2人でこのベッドを使って寝ることになった

想像して欲しい、暑すぎるため男2人が蚊の羽音に悩まされながら上半身裸で、この素敵なベッドで仲良く寝る絵を

案の定、蒸し暑さと蚊の上に、深夜馬鹿インド人のボートが近くに停泊して大騒ぎしてたせいで、俺たちはまともに睡眠が取れなかった

ポールのすっきりした顔を見れば俺達との睡眠の質の差は一目両全だ

朝から早速ベノの愚痴を聞く羽目になったのは言うまでもない。彼曰く、この旅始って以来の最悪な夜だったらしい。ちなみにこの旅最高の水圧だったシャワーは数日前に泊まったコーチンのホテル。この旅、最高や最低が続く忙しいベノ君でした

船は午前中にゲストハウス前の水路に戻り、俺達はその足でそのままバカラに向った

ここでゲスハウスを決めるときにもひと悶着あったが、これが恐らく最後のバトル。俺達はこの街で別れることになっていた

ポールはそのまま更に南下して先っちょまで行った後、デリーに戻り、ドイツに帰国。ベノはもう少しインドをうろついてから、日本に行くらしい



バカラは白人が集まるビーチリゾート。崖の下に広がる縦長のビーチ、崖の上にはレストランやゲストハウスが軒を連ねるツーリストエリアになっていて、崖から伸びる階段を下りれば簡単にビーチにアクセスできる仕組みになっている

ここは俺達の旅のハイライトにもなった。今まで知り合った旅の仲間とバッタリ再会したり。またある時は、その仲間のうちのドイツ人だけが集まり、俺の部屋がドイツ人だらけになった。それでも彼らが俺の前で母国語で会話する事は無かった

ポールの誕生日も無事に迎えられ、20歳になった

実は俺とポールはインドのリシュケシュで一回会ってるのだ

会話はしてないが、リシュケシュのレストランで見た俺のタトゥーを急にこの日思い出したらしい。時期も殆ど同じなので間違いないだろう。だから、どうという事は無いんだけどな

 最後の3人での晩餐

いよいよ次の日お別れ

もう一年以上旅を続けてると、出会ったり別れたり、所謂一期一会に慣れてしまっていたけど、さすがに一ヶ月も同じ仲間で行動し続けたのはこれが始めてだったせいか、皆思うところはそれぞれあったようだ

なかでも一番別れを惜しんでくれたのは、途中から合流したベノ君です

日記では散々ぼろくそに書いてるけど、本当は凄いいい奴

よく別れる時に、お互いの国で再開の約束をするけど、いつもその後にその約束の一体何パーセントが実現するのだろうかと考えてしまう。でも、ベノが最後に言った一言は100%実現する確信がある。口論は絶えることが無かったが、俺たちの仲はそんな感じなのだ

ベノは一番優しい、ポールは一番大人、俺は。。。多分一番わがまま

欧米社会で年齢は関係ないとは言え、この一ヶ月間文句を言わず、俺に合わせ続けてくれたポール君にも感謝 感謝

二人と別れると、俺は朝一のバスで、インド最後の電車に乗るために、ティバンドラムに向った

インドは広大だ。旅して初めてその事実を体で実感した

特にそれを感じるのは電車に乗ってる時、車窓から流れる景色

世界の端っこのような荒野は奥行きのない乾いた風景。 鮮やかな直線と曲線で区画された田畑が延々と続く風景は、一幅の名画さながら。一面に濡れたように仄明るく見える草の一本一本が、青白く放電するように逆立つ草原。デジタルアルバムのように次々と変わる風景はインドそのもの

そして俺が最も好きだったのは、車窓から流れていく時間そのもの

車窓から景色が流れていく。遠くの木はゆっくりと流れていき、手前に移る木はあっという間に窓枠の外へ消え去り、新しい木が窓枠に飛び込んでくる

未来が減れば減った分だけ、過去の記憶として積み重なる。この景色のように遠く深い記憶はゆっくりと、近く浅い記憶はあっさりと窓枠から消えて色褪せていく

どうせ色あせてしまうなら、遠くをいつまでも眺めていたい・・・・

2014年3月17日月曜日

コーチンで普通に観光

コーチンはケララ州に広がる広大な水郷地帯の北端に位置し、天然の入り江や湖に恵まれた湾は一つ一つが青い水溜りに見えなくも無い

この地は古くからポルトガルやUkの植民地として潤い、今でもかつての植民地跡独特の雰囲気を残す。カラフルな石造りの建物にはめ込み式の窓、ドミノのようにきちんと整備された道路、この文化の香り漂うお洒落な町では、インドを4ヶ月以上旅してインド色に染まった自分にはなんだか街が、自分を拒んでいるようによそよそしく見えてしまう

さて、この街の移動は少々ややこしくて、そもそもがケララの州都という事で街自体が中々大きいのに加えて、中心地のエルナクラムエリア以外は全てフェリー移動が必要となる離島にある

地区は大きく分けて3つあり、インド内地にあるエルナクラム、その隣にある謎の島、そしてさらにその奥にあるフォートコーチンエリア。観光資源の殆どはこのフォートコーチンエリアに集中してて、必然的にゲストハウスやバーなどもこの地区に集中してる

もちらろん俺たちもそこを目指すことになったんだけど、朝からまたベノとのバトルを楽しまなくてはいけなかった

フォートコーチンに行くにはまずは港に向かいそこからフェリーに乗らなくてはならなかった。駅からフェリーまでの距離が2キロ程度だったので俺が歩く事を提案したら、ポールはどっちでもいいと言い、ベノがまたわけのわからない事をぼやき始める

俺「近いから歩きたいんだけど、それでいいか?」ベノ「いやヒデよく考えてみてくれ、俺たちは荷物があるんだぞ、なければ楽勝だけど今はきついだろ」

俺「じゃあベノは歩けないんだな?」ベノ「いや歩けないとはいってないよ、でも君はわかってないよ。みろこの温度、立ってるだけでも汗が滴ってくるじゃないか。必ず途中でバテルぞ」

俺「俺はなれてるから楽勝だよ、いつも歩いてるし。でもベノが歩きたくないならリキシャに乗ろうよ」ベノ「いや、歩きたくないとはいってない。ただ途中で必ずバテって言ってるだけだよ」

俺「ベノ!!お前は歩きたいのか嫌なのか?どっちだ?頼むから話をややこしくするな、yesかnoだけで答えろ。お前に従うから」ベノ「いや、だから嫌ではないよ。皆が歩きたいなら歩くよ」

俺「OK 答えはYESなんだな?よし歩こう!」と、言った瞬間にベノの顔が今にも豪雨になりそうな程曇った。・・・・・・なんて面倒くさい男だ

俺「OK ポール!!リキシャを拾うぞ!!」 「了解!!」やっと終わったかというようにポールは元気に返事を返す

ベノは何か言いたそうだったが俺が無理やりさえぎり何も言わせなかった

たった2キロの移動で、しかも移動する前のこの一晩中うねる大波に揉まれていた様な心身の疲労感は一体なんなんでしょうか!?

リキシャをひろい港まで5分。船に乗るときも買ったチケットがなぜか既に発車したフェリーの物で、ここでもベノの屁理屈攻撃が炸裂

でも、今度は俺にではなく港のスタッフに。さすがのインド人もベノの屁理屈攻撃は堪えたのか、無効になったチケットのまま船に乗る事ができた。この時だけはグッジョブである

ひたひたと無限に波打つ大海原をフェリーは小さな島を巡りながら、フォートコーチンを目指していく。フェリーの乗客は殆どがインド人で、恐らく地元の人たちの島間の移動の普段の足として使われているのだろう

フォートコーチンに着くとまずゲストハウスを探すわけだけど、今回は港から近くても口は出さずに黙ってリキシャに乗った。これ以上今日はベノの屁理屈に耐えられそうに無かったからだ

リキシャにゲストハウスがかたまってる地域まで連れて行ってもらい、降りようとするとゲストハウスを紹介したいと言って来る

もちろんコミッション狙いなのは明確なので断ろうとすると、ベノが勝手にお願いしてるし

俺「ベノ!!余計なことするな!!そんなの必要ないだろ?俺たちだけで探すぞ!!」ベノ「折角彼が探してくれるって言ってんだからお願いしようよ。ここは知らない土地なんだし」

俺「ベノ!!お前はアホ~か?そんなのコミッション狙いに決まってんだろ!!あいつの紹介する宿に行ったらこっそり宿代に上乗せされて紹介料取られるんだよ。ここはそういうこすい国なんだよ。頼むから面倒なことしないでくれ」ベノ「俺はそうは思わない」 ・・・何を根拠に・・・・

俺「おいポール あのアホを何とかしてくれ。俺は彼の暴走をこれ以上止める自身がないよ。でもコミッションは払いたくない」ポール「なんともならんな。でも俺もコミッションを払いたくないと言うところでは意見は同じだ」

俺「よし決まりだ。あいつは放置して俺たちだけでゲストハウス探すぞ」と、言ってリキシャにとっとと金を払い、まだリキシャと話しているベノを放置して俺たちは勝手に歩き始めた


 手ごろなゲストハウスは簡単に見つかった。俺たちは基本的に長距離移動の後はビールで無事到着のお祝いの乾杯をするんだけど、この日はベノのお陰でずた袋のようにボロボロに疲れていたので、腹いせにインドでは高額な700ルピーのロブスターを頼んで一人で食ってやった



夕陽を写し込んだ海が、粉々に砕けたガラスのようにぎらぎらと夕陽を反射している。その砕けたガラスと同じ数くらいのインド人。小さな波が水際を弄んでいるらしく、長い線が白羽のように光っては消える夕方のインドのビーチ


 この地域伝統の漁法チャイニーズフィッシングネット

石をぶら下げた綱の重みでネットを引き上げるからくりは圧巻だが、今では完全にただの観光ように成り下がっている模様だった


かつてのコロニアルな雰囲気が漂う石畳の連なるこのエリアも、今ではただお土産屋が軒を連ねているだけの観光エリア

俺たちは特に特別なこともしなく、この街では皆がやっているように、普通に観光を楽しみました

あれ以来ベノも大人しくなり、ストレスを溜めることなく数日観光を楽しんだ後、次の街へと向った



2014年3月10日月曜日

ごったごたの移動

時は満ちた。1月5日、ようやくハンピを出る列車のチケットを手に入れた俺たちは、まだ家中の誰もが寝てるような時間にリキシャをつかまえてホスペットの駅へと向った

まだ人の息の混じっていない清潔な朝の空気のなか、俺たちを乗せたリキシャは街頭どころか車のテールランプすら見当たらない道路をただひたすらと駅へと走らせた

駅は相変わらずロータリーにもホームにも構内のロビーにも布を引いて夜を明かしているインド人が転がっている

俺たちは駅の掲示板で自分達の列車や発着ホームを確認すると、まだ時間は一時間ほど余っていたが、そのまま自分達のホームに向った。朝の明るみが果てしない当方からにじむように広がり、ホームの間にゆっくりと光を落としていく。長い長い移動が始ったのだ

俺たちはここから一気に南インドの南西に位置するコーチンにゴアを経由して向う手筈となっていた。ゴアでテクノパーティーに参加して朝まで踊り明かしたいって話もしてたんだけど、この時期はとに角宿代が高いという話を他のツーリストから聞いていたので、その計画はドイツまで持ち越して、今回はパスする事にしていた

列車は朝の6時発で夕方の4時にゴアに到着、そこから2時間のトランジットの後、夕方の6時発の列車に乗り次の日の朝にコーチンに到着する、約24時間前後の移動

ゴアまでの列車の旅はあっという間だった。俺はPCで映画みたり音楽聴いたり、ベノは本をよんでポールは景色をぼーっと眺めて、皆それぞれしたい事をして特に会話もせずに、邪魔をしてくるインド人もいなく、午後は淀んだ深い川のようにゆっくり静かに流れていった

ゴアについてからはリキシャに乗って一度街に出てから夜に備えてレストランで夕食をとって再び駅まで戻った。ここでもベノの事で揉めたんだけど、長くなるので割愛!!

2本目の電車はナイトトレインとなるので、寝台席を取ったんだけど、今回は3Aじゃなくて普通のスリーパー席

問題はここからで、最初は3人の席は同じボックス席の中という話だったんだけど、席は近いものの皆バラバラ。そして一人分の席だけボックスから外れたサイドシート。何が問題かというとこのサイドシートは他のシートに比べると少し短いのだ。当然のことながらポールの足は納まらないし、身長が185あるベノもにも少し窮屈。そして俺ならギリギリ納まる。

しかしである、最近パックセーフをなくして以来、俺は防犯も兼ねてバックパックをベッドの上に載せて枕にして一緒に寝るようにしていたのだ。そうするとバックパックの分のスペースがあるので俺でも体がおさまらなくなるのだ。そうなると一体誰がババを引くのかという問題になってくる

体が長すぎるポールは当然のように一番上のアップシートに寝そべり知らん顔。残った俺とベノでバトルとなったのだ

最初は当然のように短いシートがあてがわれたが、バックパックの事を説明した

するとベノは「バックパックを下に置けば問題ないだろう?」「いや、大事なものがいろいろと入ってるから下には置きたくないんだ」

ベノ「誰も盗んだりしないよ」「ここはインドだぞ!!まだろくに旅もしたことないくせに良くそんな無責任な事が言えるな??もし何か盗まれたらお前が責任とってくれるのか??」と、俺はすこし興奮気味で言い返した

ベノ「鍵をかけとけば大丈夫だよ」「そんな事聞いてない!!質問に答えろ!お前の言うとおりにして何か盗まれたら責任とるのか聞いてるんだよ!!」

すると知らん顔していたポールが上から「ベノ、彼の言うとおりだ。おれ達にそんな責任取れるはず無いだろ。人の荷物の管理のし方にまで口を出すべきじゃない」 ベノ「じゃあ誰があそこで寝るんだよ」

上でのん気な顔をしてるポールも引き摺り下ろしてやりたかったが、さすがにポールをあそこに押し込んだら、体育座りで寝る羽目になるので、結局俺とベノの言い争いにならざるをえなかった

それに何よりムカつくのが、ベノの物言い。回りくどくて理屈っぽすぎるのだ。ストレートにシンプルに言えばいいのをあーでもないこーでもないと関係ない話まで織り交ぜて言って来るので、次第に背中を走っている神経の束を逆撫でされたようにイライラしてくる

その上2人とも下手くそな英語で言い合いをしていたので、お互い段々言ってる事がわからなくなってきて、バトルは苛烈を極めていった。ベノはたまにドイツ語になるし

俺が切れて「じゃあ勝手にしろよ、そんなにそこで寝たいならどうぞゆっくりといい夢でも見てくたばっちまいな!!お休み!!」と言って、短いシートの方に荷物を移し出すとベノが「そんなに熱くなるなよ」・・・誰が熱くさせてるんだ? 

自分の物言いが人をイライラさせることに全く気づいてない様子のベノ君 

更にベノは「そんなに怒るなよ、わかったよ。俺がそっちで寝てみるよ。寝てみれば意外と寝心地が悪くないかもしれないし」と、急に大人になるベノ

恐らく彼に最初から悪気は無かったのだ。ただあまりにも回りくどい言い方に俺が勝手にいらいらしてバトルになってしまったのだ

俺は別にじゃんけんとかで決めてくれても良かったのに。ドイツにもちゃんとじゃんけんの文化があるのだから。ちなみにドイツでは「シュニック シュナック ニュノッグ」と、言うらしい

それでもこのイライラした気持ちで仲直りする気にもなれなく、空気の悪いままベノが短いベッドをとり、ようやく全員とこにつくことができた。周りをみると他の白人ツーリストがドン引きの顔でこっちを見ていた

インド人が外で怒鳴りあいをしているのは日常の光景だろうけど、日本人とドイツ人が下手くそな英語で喧嘩してるのはきっと彼等には始めての光景だったに違いない

しかし、ごたごたはこれだけでは終わらなかった

真っ黒なインクをぶちまけたような夜更けに、ベノがいきなり俺を叩き起こしてきた。

まだ昨日の事を根に持っているのか?なんて奴だと思っていると、俺に列車のチケットを出すように言ってきた

「なんでそんなものこんなクソ遅い時間に必要なんだよ、チケットのチェックならとっくにおわってるだろ?なんか俺に恨みでもあんのかベノ?」 「俺のベットの前にいるインド人を見ろ。あいつが自分の席だって言い張るから今揉めてんだよ、それでチケットが必要なんだ」

確かにベノのベッドの前には恰幅のいいインド人が携帯電話で誰かと話しながら立ちはだかっている

素直にチケットを出してベノに渡すと、ベノはチケットを持って自分の席に戻って、電話で話しているインド人に強い口調で主張を始めた

「これが俺のチケットだ。よくみろ!!次はお前の番だ!!お前言ったよな?チケット持ってるって!見せてみろよ」 インド人「あー悪かった 俺の勘違いだ ここはお前の席でOKだ」

ベノ「良くない!!お前チケットもってるって言っただろう?見せてみろよ。こんな時間に人たたき起こして間違いでしたで済むと思ってるのか?とに角お前のチケットを み・せ・ろ」ベノにしては珍しく熱くなっている(ベノは見かけによらず平和主義者です)

インド人はたじたじで「悪かったって言ってるだろう?」ベノ「意味わかんないね!!いいからチケット出せよ」と攻めまくるベノをポールも目を覚ましたのか心配そうに眺めていた

インド人はベノの攻撃にずるずると後ずさりして、逃げるように携帯電話で話しながらどっかに消えてしまった

その後も怒りが治まらないのか、一人でぶつぶつと怒りを独り言に載せて、ラップのようにつぶやいていた

さ・ら・に その数時間後の朝、今度は俺の下で寝ていたこれまた恰幅のいいインド人に叩き起こされた

奴の主張は今すぐ起きて上の空いてるベットに移れというものだった

インド列車のボックス席は、ベッドが3段になっていて、普段は2段目のベッドは畳まれている。そうしないと一番下の席に座ることができないからだ。だから彼は起きて座りたかったから、寝ている俺を起こして上に移れと言ってきたのだ

朝はだれだって機嫌が悪い。例外なく俺も昨日の事も手伝って格別にこの日の朝は機嫌が悪かった

そのインド人に対して俺は一言「い・や・だ」と、言って寝返りをうってそっぽを向き、もうこれ以上お前と話す気はないと言う態度を示した

するとそのインド人は、そんなのおかまいなしに、ぎゃーぎゃーわめき始めた。さも自分の主張が当たり前かのように。頼み方を知っていれば俺も嫌々ながら上のベッドに移ったのに、こいつの態度はいただけない

しつこいので俺は無言で思いっきり上のベッドを蹴っ飛ばした。すると騒いでいたインド人は急に大人しくなり、風船がしぼんでいくように自分の席に戻っていった。でかいのは体だけで気はちっちゃいのがインド人の特徴。それを良く知っている俺は場を簡単におさめる方法を知っていた

しかし、自分が馬鹿だった事にすぐ気がつかされた。ベッドを蹴った衝撃で親指のつめが中ほどまで割れて、血が滲み出ていた。昨日ドン引きしていた白人ツーリストはまたかと言った顔で今度は呆れ顔

電車を降りるとき俺はポールに「もう二度とこの3人で電車に乗りたくない」とい言った「そんな事言うなよ、俺は楽しかったぜ」 俺「お前だけな!!」

 

 

2014年3月9日日曜日

年越しもハンピ?


大晦日の前日、ポールの友達ベノがハンピに到着した。バラナシから電車の中で夕陽が沈むのを2回楽しみ、更にバスの中でもう一回沈み行く夕陽を拝んでようやく到着したらしい。計56時間の移動

右足と右腕全体のタトゥーに鼻と唇にピアス、両耳には特大のボディーピアスとハードコアなルックスのベノはぐったりとしながらも愛想よく自己紹介してくれた

話してすぐ分かったが、ドイツ人にしては珍しく英語が下手くそだ。実はベノも俺たちの英語の旅に混じりたくてバラナシから3日間かけて遙々やってきたのだ。そんなわけで俺の前でのドイツ語は例えポールと話すときでさえ禁じられた。禁止したのは俺ではなくポールだけど

ベノが来た時点で俺たちは既にここに来て一週間以上が経過していた。ハンピでは特別なアクティビティーやツアーなどは用意されてないけど、探せばやる事はいくらでもみつかる

釣道具を借りて釣をする、ボートを借りて一日中川をのんびり下る、村一番の丘に登って絶景を眺めながら乾杯をする、川向こうのがけでロッククライミングをする、湖に夕陽を見に行く、バイクを借りてツーリング。。。2人でいろいろと提案しあったけど、結局それらが実現する事はなかった。俺たちはあまりに怠け者過ぎたのだ

大体朝起きると2人で朝食を近くのレストランに食べに行く。朝食と言っても時間が遅いので昼兼用で帰ってくると俺はシエスタ、ポールはその間PCの楽曲作成ソフトでテクノを作って遊んでいる。俺がどっか行けば付いて来るが、自分からどっかに行くことはほとんどない。次の日やる事を決めておいても次の日になると気が変わってしまっている。それに対してポールも文句を言わないのでだらだらとベッドの上で一日を過ごす日が増えていってしまう

そしてそれはベノが来たからといってこの怠慢な日常が変わることはなかった

大晦日も新年も特別な事は何もしていない。せいぜい大晦日に隣町にビールを買いに行って、こっそりハンピに持ち帰って皆で乾杯したくらいだ。ちなみにハンピの村に酒を持ち込んだのが警察に見つかると10000ルピーの罰金らしい。日本円で17000円くらい

そして酔って寝て、そのまま年を越した。

ベルリン出身のベノいわくベルリンの新年は狂っているらしい。そこら変で爆竹を投げまくってる奴がいるかと思えば、殴り合いが始まったり。特に理由はないが人を殴る奴がいるのだ。そしてそんな騒然とした中そこら変で薬中が倒れてて、一般人たちが大騒ぎする。そんなドイツの年越しが嫌いらしい。ベノにはお似合いだと思うんだけどね

それに比べるとここは静かで誰もカウントダウンもしなかったらしい。ちなみに村の人口は殆どが観光客で、その90%以上が白人。それでも次の年へと静かにカレンダーはめくられていった

新年もこっそりと持ち込んだビールで昼から乾杯

ベノはこんなルックスでもナースらしく、数ヶ月の休みをとってインド、そしてこのあと日本を旅するらしい。日本人の感覚からしたら、全身刺青とピアスだらけのナースが数ヶ月の休みをとってインドを旅してるって、ドラマの設定だったとしてもありえなすぎて笑ってしまう

ドイツのナースは皆そんないかれた格好してるのかベノに聞いたら、自分は特別だと言った。実際こんな奴はいないし、患者にも同じナースにも変な目で見られると。それでも普通に働けるドイツの寛容さが羨ましかった

ポールは現在19歳で丁度高校と大学の間に休憩を入れて、音楽制作に精をだしたり、旅をしたりしてんだとか。どういうことかと言うと、ドイツは日本と違って高校卒業してもすぐに進学するという文化がなく、皆その間の1~2年間は自分の好きな事に時間を使うらしい。

そしてドイツは殆どの学校が学費免除になるので、みんな高校を卒業すると家を出て働きながら学校に行って、自分で生計を立てることを学ぶ。だからポールが最初19だと知ったときは驚いたけど、若い頃から一人で生きることを学ぶ欧米文化だと心が大人になるのも早いのかもしれない。ポールと話していても、とても10以上も年下と話しているとはおもえないもんな

学費の高い日本では、学生の頃から親の援助無しに生計を立てながら自分のお金で学校に行くっていう事は、並みの努力では難しい。だから日本人の学生が他の外国人に比べると心が未熟なのもしょうがないのかも知れない。そういう場面に直面すると辟易してまうのは否めないけど・・・


新年2日目、ようやく俺たちの計画のひとつが実現した。村の郊外にトレッキングに行く

このぐーたらな空気を振り払うには誰かが引っ張っていかないとと思い、前日俺が提案して全員にアラームをかけて寝るように支持した

結果として俺一人が完全に寝坊をしてやる気をなくしていたのだが、他の二人が珍しくやる気を見せ、見事朝の10時にトレッキングに出発できたのだ

トレッキングと言っても、特にトレイルがあるわけでもなく、村から遠くの方に見える岩山を川に沿って目指すという事でとりあえず話はまとまった

しかし、話はそんなに簡単でもなく、遠くから見ると通れそうなところも、近くに来ると思いの他岩がでか過ぎて越えられないとか、川が部分的に氾濫していて渡れないとか、進んでは戻って回り道探しての繰り返しだった


 一応水浴びができる所に行くっていう目的はあったものの、ぼんやりとしたもので目的地が無いのも同然。進めないら帰ればいいと考えてはいたものの、すぐ引き返すのもあっけなさ過ぎるので、どんどん目印の川から離れた所に迷い込んでいった

途中機嫌悪そうな牛が居座って、怖くて追い越せずにぼーぜんと佇むベノ

ポール「ベノ!こっちが何もしなければ大丈夫だから早くこっち来いよ!!」「でも相手は動物、何が起こるかわからないだろう!!少なくとも言葉は通じないんだから」

俺「少なくともドイツ語は通じないだろうな!!あははは ビビッて無いで早く来いよ」

完全にビビッてしまったベノ。牛も呆れ顔で見ています



ようやく水浴び場についてご満悦の2人

俺は水が汚かったのでパス

その後ガイドを連れて滝を目指している白人ツーリストがいたので、こっそりと後をつけるも、途中で見失い滝までたどり着けず

なんだかんだで半日以上歩いたので満足して帰って来た

 次の日は一度いったところだけど、ベノがまだいってなかったし、そこから見る夕陽は格別だと聞いたので、再び村一番の丘に登った



夕陽をハートで囲んで写真を撮ろうとするベノ

センスの悪すぎるクレイジージャーマン 









この丘で夕陽を待ってる瞬間が旅のハイライトだった

 二度と戻ることのできない時間を異国の地で異国の仲間と共有する

探求とはまず開放から始る

さぁ!そろそろハンピを出ようかな

2014年3月5日水曜日

ハンピで談話

久しぶりの日記。。。この日記は多分3ヶ月ほど前のものになります・・・・

今は香港で優雅な生活を送っています。でもなんだか刺激が不足してます


朝早く寝坊したポールを叩き起こしてバス停に向った。二日連続でバスを逃すのは御免だった

ハイデラバッドからハンピの入り口の町までバスで12時間とインドにしてはそんなに遠くは無い、たったの400キロ

バスの中で新しいシスターができたポール君

わずか2時間の間に派手な事故を2度も目撃

着くころには俺もポールも一日中バスの中で体育座りしていたのでぐったり、到着間近になると着いたら最高のビールで乾杯しようって盛り上がってたのに、ハンピ自体が厳格な聖地のため肉や酒を手に入れることができずに意気消沈

ハンピ村に着くと既に真暗でゲストハウスを探すのもめんどくさかったので、前の宿で日本人に教えてもらった宿を探すことにしたが、村が狭いためすぐ見つかった

2人でたったの200ルピー。部屋は狭く貧乏大学生の下宿先のようだった。この時期でこの価格は破格だったため泊まる事にしたんだけど、宿が日本人宿だったため次の日にチェックアウトする事になった。

次の日はもっぱらゲストハウスを探すのに時間を費やしたが、なかなかポールが嵌るゲストハウスはみつからない

足が納まらないが我慢してもらうしかないです


 年末年始で列車やバスのチケットが取りにくく移動が困難になるため、自然とハンピでの滞在は長期に及んでいった

そのため観光も一気に周る事もできたけど、いそがず一日一つずつゆっくりこなしていった


 郊外の遺跡を周ったり



 村の寺院を訪れたり

朝と夕方は毎日2人でヨガとメディテーション


 俺はいつも欧米人と行動するときは昼間は一人で観光して、夜だけ一緒に飯を食う事が多かったんだけど、ポールはなぜか俺の行くとこについて来るので、殆どの時間を一緒に過ごしていた

なかでも面白かったのが毎晩夕食時に行われる難しい話

実は俺もポールも英語を勉強したくて、なるべく外人と行動するようにしていたのだ。だからちょうどいいコンビじゃないかという事で、長い間旅をする事になったのだ

だから話の内容も普段話しなれた内容は避け、少し難しめの話をするようにしていた

そして俺は前からドイツ人に聞いてみたかった事があったが、初対面で話すような話でもないので聞けずにいたことがあったのだ

「じゃあヒトラーの事を聞いてもいい?ドイツ人はそういう話を嫌がるって聞いたからいままで避けてたんだけど」「なんでも聞いてくれ、そんな事気にするドイツ人はいないよ。ただ、前にインド人にいきなりハイルヒトラー!!って敬礼されたことがあったけど、あの時はリアクションに困ったよ」

「じゃあヒトラーの事をドイツ人はどう思ってるの?日本では、確かに歴史的大罪を犯した人物として認知されてるけど、その一方で人を魅了する力や演説の上手さ、頭のきれ具合とか一定の高い評価を受けてるんだ。でもドイツではナチスに関する表現を完全に封印して、それをみだらに公にさらす者には刑罰まで下される法律があるみたいだから。もしかしたら認識の違いがあるんじゃないかと思って」 「ドイツではただの馬鹿 愚か者 それ以外形容のしようがないよ。ただ、一部のクレイジーな連中が未だにヒトラーを崇拝してるけどね」

「ネオナチの事?」「イグザクトリー!!あいつらは頭がおかしくて、アメリカ人見つけたら喧嘩を売りに行くんだ。でも、日本人は大丈夫だよ、二次大戦のときに一緒に戦ったからね」俺「そんなもん?面白いね」

「じゃあさ、日本の戦争責任者は当時の天皇陛下でドイツはヒトラーという事になると思うんだけど。日本では力は失ったものの未だに天皇陛下が存在して、ドイツのヒトラーはもういないよね。一応自殺とか亡命とかいろんな説があるけど、もし生きてたとしても今のドイツを見てる限りだと絶対に排斥されてたはずだよね?この違いは何故かな?もちろん当時の天皇陛下は軍のただの操り人形だったのかも知れないけど、一応公の戦争責任者だったんだから、完全に排斥されててもいいはずなのに」

ポール「それは俺たちドイツ人と日本人が追った傷の違いだよ」「傷の違い?日本人は恐らく原爆と東京大空襲が最大の傷だけど、ドイツとの違いって何?」

「それはやったものとやられたものの違いだよ」「ああ!!なんとなく君の言いたい事がわかってきたよ、続けて」

ポール「ナチス最大の失態は君もしってるよね?」「ユダヤ人虐殺のことだろ?」

「そう。他にも戦争が終わった後ドイツは様々な困難に見合うことになるんだけど、それは全部やられたことなんだ。受身なんだよ。でもユダヤ人の虐殺はやった事なんだ。想像できるかい?ヒトラーの命令でやりたくもない虐殺を無理やりさせられた人たちの気持ちが?俺たちは自分達自身の手でとんでもない事をいけないとわかっていながらやってしまったんだ。だからこそ必死でその血で染めた手を綺麗にするためにナチスを忌み嫌い完全に排斥しようとしたんだよ。それが君達の国との違いさ」 

俺「なるほど。確かに原爆も東京大空襲も受身だね。受けた傷の種類が違うという意見も頷けるよ」

ポール「受けた傷の種類が違えば、その後の展開も変わってくるってことさ」

俺「まるで昔のUKとフランスみたいだね。フランスは革命で王様を殺して、UKは一応権力だけ奪って、シンボルとして残した。その結果二つの国から同じ三権分立を根幹としながらも大統領制と議院内閣制という2大統制システムが生まれた」

ポール「ははは その例えも面白いね」

英語で道を尋ねるのがやっとだった一年前ではこんな内容の話しなんてできなかったし、しようとも今まで思わなかった。だけど、してみると以外にできるもので、しかも凄く面白い

ポールもこんな話を外人と英語でしたのは初めてで面白かったらしく、その後も俺たちは毎晩テーマを一つ決めて、辞書を片手に真面目な話を何時間も続けた

そして大分暮れが近づいてきていた。。。。



2014年2月5日水曜日

変な人たち


ハンピ行きのバスを見事に逃した。前日飲み過ぎてアラームをかけ忘れて寝たため、起きたら既に10時過ぎ。。。

良くある事なのでくよくよせず、ホテルのフロントに代替作がないか聞くために一階に降りていくと誰かが口論をしているのが聴こえて来た

フロントにはアジア人の若い女性に、風が吹いたら飛んでってしまいそうなくらいやせ細った小さなインド人に、長身の白人3人。どうやら口論を繰り広げているのはアジア人女性とインド人で、もう一人の白人は文字通り高い目線から高みの見物を決め込んでるようで、口論には一切加わろうとしない

口論の内容は同じ部屋に泊まる泊まらないで揉めてる様で、フロントの男はかなりの呆れ顔でボーっと眺めている。俺もフロントに用事があるんだけどな・・・

暫く口論の様子を眺めていると、フロントの男が俺が日本人だとその女性の方に話したらしく、しるやいなや日本語で「ちょっと聞いてい下さいよ、私このインド人に付きまとわれてるんです!!」え? この人日本人?

英語の発音がネイティブに近かったので、ネイティブか中国人だと思ってたら、綺麗な訛りのない日本語で話しかけてきた

ただ付きまとわれてると言われてもよく意味がわからない。彼女が日本語で話すものだから、口論をしていたもう片方のインド人が俺に「こいつ、今なんていったんだ?」と聞いてきたので、ウザイらしいよ、と伝えたら、更に口論が激しくなる。こうして関係のない善良な日本人が巻き込まれていき、先ほどの白人は頃合を見計らって「じゃあね皆!!」と一言言って、さっさと自分の部屋に行ってしまった

彼女としてはそんなにはっきりと言わないで欲しかったらしい。俺としては付きまとわれてると言う話だったので、ウザイと伝えたのが何がいけないのかその時は理解できなかったが、これには理由があったのだ

どうやらこの2人は既に10日間近くも一緒に旅を続けてたらしく、ただ付きまとわれてるわけでもないらしい

しかしそんな事情は露知らず、ただ「付きまとわれてるんです」と言われれば、ストーカーだと思うだろう。普通は。とはいえ、進んで一緒に旅をしてた訳じゃなく、勝手について来るのを敢えて追い払いはしなかった程度の仲らしい

その後も会話を聞いてると、あなたとはそういう関係じゃない、ただの友達でしょ、私達はカップルじゃない、セックスなんてする気ない、とかまるで三流昼ドラみたいなセリフが次々と飛び出してちょっと面白い

彼女が言うには、昼間はいい人で親切にしてもらってるから無下にはできない。しかし、夜になってホテルをシェアしたりすると、毎日のようにセックスを求めてきてゆっくり寝れない。だから今回は別々の部屋にしたいという事で揉めてて、そこに更に俺が巻き込まれて事態は更に悪化していった

2人の喧嘩をみていると、本気で追い払いたいのかどうかも今一よくわからない。どっちにせよ最初から助けて上げようなんて余計なお節介をするつもりも無かったけど

結局ホテルのフロントの男が埒が明かないと判断したのか、二人とも泊めない、他を当たれと言って二人とも追い出してしまった

例の2人は一緒にホテルを出てからも外で口論を続けており。見かねた俺がフロントに「彼女は君の助けを必要としてるかもよ、かっこいいとこ見せてあげたら?」と、フロントに間単に事情を説明した

するとフロントの男が外に出て行き、3人で暫く話したかと思うと、男を追い払い、女性だけを連れてホテルに戻ってきた

どうやらこの日本人女性を泊めて、インド人は泊めないという判断らしい

正直巻き込まれた感はあったが、面白がって見物してた自分にも責任はあるのだろう

ごたごたも一段落した頃に、頃合を見計らったように先ほど彼等と一緒にいた白人が上から降りてきた。この3人はハイデラバッド行きの電車の中から一緒だったらしい

「へい!終わったかい?」「見ての通りフロントが追い払ったみたいだよ、ところでタイミングよく出てきて、これからどこ行こうっての?」

「たまたまだよ、これからハンピに向うためのバスのチケットをアレンジしようと思って、旅行会社にいくところだよ」「ああ、その必要はないよ。予約無しで乗れるから。それとも快適で高いツーリストバスに乗りたいの?」

「いや、安い方がいいね」「俺も今日バス逃したから、明日そのバスでハンピに向おうと思ってんだよ」

「じゃあ同じだね。一緒に旅しようぜ!!」「OK」 

これが南インドを一ヶ月かけて周る旅の連れとなったドイツ人ポールとの出会い

彼の一番の特徴はなんと言っても2メートルを超える身長、本人も何センチあるか分からないらしいけど、2メートル超えてるのは確からしい。この身長のお陰でこれから行く先々で迷惑するのであった



ハンピへ行くために経由地として立ち寄ったハイデラバード。ここはUK植民地時代にあっても独立を保ち続けた旧王国の首都で、今でもインドで4番目の人口を誇る大都市

街はイスラム色が強く、それなりに観光資源も徒歩圏から郊外まで数多く存在するにはするが、インドも4ヶ月目に突入すると観光意欲も下がるわけで、歩いていける程度の所しか立ち寄らなかった

その中でも少し印象に残ったのがネルー動物園。なんでもアジア最大の動物園の一つらしいのだが、その最大が故に問題があった

動物園は広大な敷地を誇り、同様に動物の檻も広大で、端から端が見えないくらい巨大。動物がどこにいるかなんてわからないし、何の動物の檻なのかすらわからない事が殆ど。檻というよりはサバンナを堀で囲ってるだけで柵も何も無い

ある意味自然に近い状態ではあるのだが、動物がみれない動物園というのはどうなのだろうか?他にもちょうちょのいないバタフライガーデンとか素敵過ぎた


これは動物園の評価とは関係ないが、かなりの確率でインド人とすれ違った瞬間に笑われる

外国人が珍しいのはわかるが、笑うのはいかがなものか?しかもくすっと笑うのではなく、噴出すように笑うのだ

これはいくら国が違えど失礼な振る舞いと言っていい

そこで俺もどうにかしてやり返してやれないかと考えた

この動物園にはムスリムが多い。しかも全身真っ黒で忍者みたいに目の部分しか露出してないかなり本格的なムスリム女性

そしてそのムスリムが座ったベンチの前を通り過ぎようとしたら、また笑われたので、リベンジとして写真を撮ってやった



知らない人もいるかもしれないが、ムスリムの女性は写真に写してはいけないらしいのだ

カメラを向けた瞬間悲鳴をあげながら逃げ惑うもの、あるものは顔だけも守ろうとうつむく。彼女達にとってはただ事ではないのだ

これで少しスッキリした!!


2014年1月31日金曜日

南インドの玄関でいきなりつまづく

コルカタの飲み仲間アレックスと一旦別れて列車で約8時間南に下ったプーリーに移動した

宿は決まっていた。日本人宿のサンタナ

なぜ日本人宿を避けてる俺がわざわざプーリーのサンタナを狙い撃ちしたかと言うと、理由は二つある

まず一つは破格の宿泊費。よく覚えてないけど確か200ールピ前後?あれ150だったっけ?に、朝食と夕食が含まれており、更に一日に2回チャイのサービスまでついているのだ

他の宿と比べても宿泊費が破格な上に食事がついていて、その上日本食が食べれるのだ、聞いてるだけでよだれが垂れてしまった

もう一つの理由はインドやネパールにチェーン展開するサンタナ宿、その本家本元がここらしくて、既に数十年の歴史があるのだとか。そこに興味が沸いてしまったのもあるし、3ヶ月近く日本語を喋っていなかったので、ちょっとだけ日本語が恋しくなっていたってのも手伝ったのかもしれない

チェックインするとまずはどこの部屋がいいか自由に選べる。ドミトリーか個室にするか。おもしろいのがどこの部屋にしても料金は一律。普通はドミトリーの方が個室より安いんだけど、ここはどこも同じ料金。俺はドミトリーが嫌いなのでベッドが二つある個室を選んだんだけど、満室になると他の客とシェアして使ってもらうことになるとの事だった。成る程上手くできいる

到着したのがまだ朝だったので、荷物を部屋に放り投げて鍵をかけたら、そのままビーチに出かけた

プーリーは南インドの入り口のような町で、気候は北インドとそうは変わらない。昼間は日本の初夏くらいの蒸し暑さで、夜は少し冷え込み半袖だと肌寒い程度。ACがなくてもすごし易い気候といえる

宿の裏は漁村を挟んですぐにビーチになっており、そのビーチ沿いにゲスハウスが並んでいる。そのゲストハウスの数がこの街の価値を示していると言ってもいいかもしれない。サンタナはそのゲストハウスの一番端っこに位置しているのだ

ビーチに行くために漁村を抜けると早速うっとおしい子供が写真写真とせがんでくるいつも通りのパターン。追い払いたいとこだけど自分も子供だったころはもっと酷いがきだったらしいので写真くらいは撮ってやるが、3歩歩くたびに次から次へと新しいガキが登場する。あいにく俺は鶏ではない、3歩歩いたら忘れると思ってるこいつらは俺を見くびりすぎである。更にはそこにどさくさに紛れて大人まで混じってくるのだから、最終的には全て無視することになるのだ
            




漁村自体は台風が来たらすぐに吹っ飛んでしまいそうな小汚い家屋、と言うよりは小屋が建ってるだけだが侮ってはいけない
                  


           
というのも、それこそ昔は海の魚は不浄のものとして普通のインド人は食べなかったので、獲った魚は自分達で食べるだけで、中々現金収入につなげるのが難しくて、大変貧しい暮らしを強いられていたらしいのだ

それが今では、南インド人は普通に魚を食べるようになったので村も少しずつ潤いだし、モーター付きの船を導入してからは、貯金する奴まで出てきたらしい。つまり、漁村の見かけ自体はスラム街のバラック同様貧乏臭が漂っているが、その実なかなか羽振りはいいらしい。それが本当にここ最近の話。だからあと10年もするとこの漁村も姿を変えているかも知れない

そしてこのビーチ最大の問題が排泄物の処理。わかりやすくいうとうんちだ!!


上の写真を見るとわかるとおり、大人子供関係なく皆ビーチで糞をしている。ビーチにしゃがんでる奴がいたら間違いなくうんこだ

うっかりしてると踏んでしまうくらいビーチはウンコだらけ。そのうんこだらけの砂浜に海から引き上げた網を広げて魚をより分ける漁師達
                

俺も気をつけてビーチを歩いていたんだけど、踏んでしまった。どういうわけかサンダルの中に何かが入ってきた。。。もしかしたらウンコじゃなくてただ泥が入っただけかもしれないと思って臭いをかいで見るとまるでウンコのような臭いがするではないか!!どこをどうやったらサンダルの中にウンコの臭いのする泥が入ってくるのか、理解に苦しみはしたものの、幸い目の前に海のように大きなトイレがあったのでそこに足を突っ込んでとりあえず難は去った

ウンコを避けつつ、モンスターを倒し、竜王を倒しバラモスを倒してようやく裏の世界に到達、それから一キロほど歩くと今度はウンコビーチから普通のインド人ツーリストでごった返すビーチへと到達

波が泥を巻き上げ海は全然青くない、この茶色は本当に泥なのだろうか?と、思うととても足すらつける気にならない。だってさっきのウンコビーチの隣だし、仕切りがあるわけじゃないし・・・・

写真写真とせがんで来るインド人を完全に無視して(大人は容赦なく無視します)更にビーチを進むと、今度はビーチ沿いにメインストリートが寄り添うように続いていた。

砂の上を歩くのも疲れたのでメインストリートを歩くと、道路の反対側に大きなビルに囲まれた空き地があって、この暑いのに人々が焚き火をしている。それも一箇所ではなく空き地のいたる所で火を焚いて棒の様な物で焚き火をつついている

何かの儀式でもやってるのだろうかと思った俺は、確認するために空き地に入っていった

焚き火を遠目から見ると、焚き火の中からごぼうのようなものが2本飛び出していた。ごぼうのバーベキューでもやっているのだろうか?っていうか、インドでごぼう見たの初めてだぞ

更に近づいていくと、そのごぼうには毛が生えていて、九の字におれて焚き火から飛び出している。ごぼう・・・確かうっすらだけど毛が生えてるよな。でもごぼうって指とか生えてったっけ?

そのごぼうには人の足のように先っちょは靴の形をしており、そこには5本づつ指が生えているのだ。まるで人の足のようなごぼうだ・・・じゃなくてごぼうのような人の足だった・・・・・

ごぼうのバーベキューじゃなくて人のバーベキューか・・・「先生!!ここで人間焼いてる人がいまーーす!!」と、叫びそうになったが、よくよく考えるとここは火葬場なのかもしれない

しかし、これは不意打ち過ぎる。ごぼうのバーベキューかと思っていたのもが人のバーベキューだったのだ。ショックを受けすぎた俺は気分が悪くなってそのまま宿に引き返した

次の日は宿で酒を買えるというので、朝から前日の続きとして迎え酒を胃に流し込んでたらあっという間に一日が終わってしまった。プーリーの郊外にはいろいろと観光スポットがあるんだけど、一人で行くのも億劫だったので友達が来るまでは宿の周辺しか出歩かなかった

そう、実はこの宿に後から来ることになっていたアレックスを呼んでいたのだ。安くて食事が付くという話をしたら泊まりたいと、俺が日本人しかいないし、そういう雰囲気だけど大丈夫かと確認しても、泊まりたがっていたので呼んだのだ

ちなみにサンタナ宿は基本外人は宿泊できないけど、泊り客の友達に限り国籍関係無しに宿泊できるとの事だった

俺が宿泊してる時期のサンタナの客は何か目的ややることを持っている人が多かった

ボランティアに来てる子、言語を習いに来てる子、スモーキングに来てる子、そうじゃない宿泊客は数日滞在してとっとと次の街に行ってしまうので、俺の事を終日相手にしてくれる人はいない。それだけにアレックスの到着が待ち遠しかった

アレックスは到着すると早速ウンコビーチへと一人で出かけていった。おもしろいので特にウンコに関する情報は提供しなかった

数十分後に帰ってくると予想どおり「Fu○k fu○k fu○k」を連発、「海はキタねーしビーチの50%は糞で構成されてるし、ガキはペンをよこせってうるせーし 最悪だったぜ」と文句を糞のように垂れ流していた


サンタナでは朝食 夕食のほかに有料でランチを頼む事ができる。このランチがまたガチの日本の家庭料理なのだ。値段は大体の料理が一皿80~150ルピー。その他にもスパゲッティやピザとか日本で一般的に食べられてる料理がかなりバリエーション裕に取り揃えられており、味は冷静に判断すると普通なのだが、海外で日本食を真似した偽日本料理を食べなれた俺からしてみると、舌鼓を打たざるを得なかった

アレックスも敢えてイタリア料理や他の洋食を避け、俺にお勧めを尋ねてから日本食をすすんで食べていたが、かなり気に入ってた模様だった。アレックスは基本的に美味しくない物を美味しいというタイプではないので

他にも俺が気に入っていたのは刺身だ。これはスーパーの特売で売っているような冷凍マグロなんかよりよっぽど美味しい。そのかわりその刺身を食べるときだけは、ウンコビーチの存在を頭の中から消去する必要があった

他にも宿の設備としては、有料のホットシャワーやランドリーマシーンの使用、酒やつまみ、ちょっとした日用品は全て宿からでず買える様になっているのだ。そしてその購買システムが日本伝統の無人販売のようになっていて、シャワーを使ったり、何か売り物を取ったりした場合その後に、壁に貼ってある表に自分の名前と内容を記入する自己申告制になっている

こんなやり方で誰かちょろまかしたりする奴はいないのだろうかと疑問はあったが、俺もアレックスもせっせと毎日表に記入してたし、いちいち小銭を用意する必要がなく面倒くさくないので、宿の外に出にくくなる原因となっていった

アレックスは基本的に自分からどっかに行こうと誘ってくることは無かったが、俺の誘いにはいつもついて来る。酒の誘いはのぞいてだが。

なぜ飲み友達のアレックスが俺ののみの誘いを断っていたかと言うと、コルカタに一人でいる間に痔を患ったらしいのだ。メールで英語で痔になったと送られてきた時に英語の横にかっこで痔と漢字が添付されてるのを見たときは思わず飲んでいた紅茶を霧のように噴出してしまった

他にもプーリーに滞在中は郊外の世界遺産や、少し離れたビーチに夕陽を眺めに行ったりと毎日少しずつ観光を消化していった。そして帰るときにアレックスは必ず「俺たちの日本人ハウスに帰ろう」という。相当気に入ってるらしく、誰が教えた訳でもないのに日本語も少しずつ覚えている

サンタナにいるアレックスをみてるとまるで日本でホームステイしている外人のように見える

こうして長居するつもりは無かったのだが、列車のチケットが中々取れないのと、居心地の良さが手伝って滞在は一日一日と長引いていったのであった

そして滞在も一週間を数える最後のよる、アレックスと同じ滞在客の日本人女子アユミことボストンを誘って3人でナイトマーケットに出かけた

なぜボストンかと言うと、ナイトマーケットに行くときにボストンがよれよれのボストンと正面にでかく書かれたパーカーを着てきて、それをアレックスが大声でボストンと読み上げて以来彼女の名前はボストンに改名されたのだ

ナイトマーケットはリキシャで10分程度。ナイトマーケットが近づいてくると、遠くの方に見えるビーチが夜の空港の滑走路のようにみえた。屋台の白い照明が誘導灯のように無数に並列に並び、見えなくなるくらいまで続いていりる。今にも飛行機が飛び立つ音が聞こえてきそうだったが、近づくにつれて聞こえて来る音は、人々の話し声や笑い声物売りが声を張り上げるまさに祭りの音

よく英語で全然違うと言う時に「It's like night and day」と表現するが、正に昼と夜の違いは砂漠に忽然と現れたパラダイスのようで、昼間は何も無かった少し広めのビーチに、今は無数のみやげ物屋やフード屋台が軒を連れねて賑っている

ボストンは早速土産をあさり出し、俺とアレックスはただ冷やかすだけ

「日本人女子は買い物がすきなんだよ」「イタリア人女子も同じだよ、世界中一緒だろ」と言っていたアレックスがペンを束で売っている店の前で足をとめた

1ダースからのペンを取って値段を聞いてるアレックスをみてピンと来た。実はアレックスは文句をいいつつも毎日のようにウンコビーチに一人で通っていたのは知っていた

「ははーん、お前さてはそれ漁村のガキ共にせがまれて買ってやろうと思ってんだろう??」「いや・・・別に。結構高いんだな、他で探すよ」とそれ以上は何も言わずペンの束を元に戻した。きっとこっぱずかしんだろうな、じぶんのキャラと合わない事をすると

ビーチの赤茶けた砂を踏みしめながら露店の間を更に進むと、そこには少し小さめな観覧車があった。他にも遊園地お馴染みのちょっとしたミニアトラクションンのような物が5種類ほど稼動してた
               

しかし、様子がおかしい。観覧車が動き出したかと思うと、富士急のアトラクションン、ドドンパのような勢いで加速をはじめぐるぐる回り始めた。回るというよりはぶん回すという表現の方がしっくり来る。回ってるのを目で追ってるだけで目が回る

それを見ていると乗ってみたくなるというのが男である。男でなくとも乗ってみたくなるだろうという事で、3人でチケットを買い乗り場に並ぶ


結婚前の男女は一緒に乗れないとの事で男2人俺とアレックスは同じボックスに突っ込まれ、ボストンは知らんインド人家族と一緒に乗ることになった

観覧車が動き始めたかと思うとものすごい加速をはじめ、頂点に達した瞬間にケツがすこし浮き上がった、かと思うと今度は急に落下を始める



しかも驚く事に、いや、インドだから別に驚きはしないけど、ボックスにはベルトも無いしドアも閉まらないし、柵が低いので頂点に到達する瞬間にしっかり手すりにつかまってないと振り落とされかねない。一年に数人は死んでるであろう事は容易に予測できる

しかも長い。5分が過ぎても止まる様子がない。気持ち悪い・・・アレックスはもはやF○ckとcrazyしか言わないし

頂点に達するたびに祭り会場の全貌が望める。ああ、空港の誘導灯みたいだー、と思っていると急に落下をはじめ地面がぐんぐん近づいてきて、地面を舐めるようにそったかと思うと、今度は祭り会場とは逆方向に上昇を始め、あー月だー、と思っているとまた急下降を始める

観覧ってなんですか?

ぐるぐる回されすぎて、そろそろお迎えが来たかなーと思う頃にようやく停止

降りると様子のおかしな人が一人。顔を真っ青にしてうつむいて言葉をはっしないゾンビことボストンが立っていた。その姿があまりにもゾンビのようだったので、あやうく火炎放射器で燃やしてしまうところであった

そしてその超即観覧車の向こうにこれまた様子のおかしなフライングカーペットが稼動していた

普通のフライングカーペットの動きに加えて、更にぐるぐると指先で回転するコインのように勢いよく平行に回っている

俺「あれ乗ろうぜ」アレックス「えーマジでぇーー  まぁいっか 乗るか」ボストン「私もう無理です、ここで待ってるんで2人だけで行ってきていいですよ」2人「OK わかった」

俺とアレックスはチケットカウンターに行き、3人分のチケットを買った

日本人はこういうのに弱いのだ。俺のついだ酒が飲めないってのかよ、と、言う勢いでボストンにチケットを渡し、半強制的に3人で乗車。チケットを見た瞬間に更にボストンの顔が青くなったような気がしたが、多分気のせいだろう

ブーと言う音とともにフライングカーペット+αは勢いよく回転し始めた。まるで回転寿司になったような気分だ・・・誰か乾いてカピカピになる前に俺を召し上がってくれ・・・・

カラカラになる直前にようやく停止。ボストンはまるで朝から晩まで誰も食べてくれる人がいなかった寿司のように水分が抜けきって、ほぼミイラ化。言葉すら忘れてしまったようだ。胃の内容物をかけられるのが嫌だったので、少し離れておいた

その後ビーチの波打ち際で水を飲んで休憩。アレックスの日本語「さあ、行こう」の言葉と共に俺たちは家路に着くのであった

あーープーリー楽しかった

次はいよいよ本格的な南インド、ハンピに向うため中間の街ハイデラバードまで電車で24時間の旅です