2014年4月13日日曜日

仲間達との別れ インドの旅の終わり

日記も終に3ヶ月遅れ・・・今はネパールでトレイルランニングとトレッキングに勤しんでおります

今回は一気に遅れを取り戻すために、インドの日記を一気に書き上げこれで終わらせてしまおうと思ってます


俺たちはコーチンで数日滞在した後、更に南下したところにあるアレッピーに向う事になっていた

ここまでは俺のプランにポール達が合わせてついて来た感じだったけど、ここからは特にプランが無かったので、アレッピーから更に南下したところにあるビーチリゾート、バカラで誕生日を迎えたいと言うポールのプランに乗っかることにした

そこで最初に向かったのがコーチンからバスで何時間か忘れたけど、水郷地帯の町アレッピー

この水郷地帯は現在ではバックヲーターと呼ばれ、ヤシ木の間を流れる運河や湖を行き来するボートを日常に使い、のんびりとした生活を送る人々の営みが、複雑な水路と絡みあって形成されている

そしてこれらの町から出発する水郷地帯を巡る船の旅がケララ州のハイライトといってもいい

いつものごとくローカルバスに何時間も揺られ、着くころには誇りだらけになってぐったりしてる俺たちだが、今回はのんびりしている時間がない。ポールの誕生日は数日後。それまでに船旅を経てバカラにたどり着かないといけない

バス停であったイスラエル人にゲストハウスを紹介してもらい、荷物を部屋に放り投げると、各々勝手に町の観光に出かけた


 バックウォーターの船旅を町最大の観光業にしてるだけあって町の水路は専用のボートだらけ

2時間後に再び集まり、近くのビジネスホテルのレストランに3人で食事に行った

実は俺たち3人朝から何も食べていなくて、恐らく全員が胃袋が背中にくっつくくらい腹が減っていたはずだ

各々注文をすますと、後からインド人の家族がレストランに入ってきて注文を始めた

そして数分後、後から来た彼らのテーブルに食事が先に運ばれて来たのをベノは見逃さなかった

すかさず俺とポールに文句を言い始める。いつもの事だが俺もポールも腹減ってるのは同じだし、ベノの屁理屈は空腹に堪える

2人でベノの説得を試みる「頼んだものが違うんだから、出来上がる順番が違ってくるのも当然だろ。良くある事だよ。しかもここはインドだぜ」

それでも納得のいかないベノ君は近くのウエイターにクレームを入れる

いつもと違うのは珍しく声を荒げているところだ。ねちっこい屁理屈はいつも通りだが、今日は喧嘩腰である

恐らく、慢性的な空腹感がじわじわと胃から大脳へ攻めあがって、怒りっぽくなっているのだろう

お陰で俺たちのテーブルは、風一つ無い朝靄のかかった湖のように食事が終わるまで静まり返っていた

まだ怒りがおさまらないのか、会計の時も店員にキレ始める始末。もう面倒なので放置して俺たち二人はそのまま夜の町に繰り出した

バックウォータートリップの参加の仕方は大きく分けると二つある

一つは、乗り合いのボートに乗って数時間水路を巡るという時間的にも金銭的にも余裕の無い人に持って来いの軽い船旅

もう一つは、ハウスボートと呼ばれる、宿泊施設を兼ね備えたボートを家族や仲間でチャーターして、数日の船旅を楽しむというもの

時間が無かった俺たちは前者の簡易な船旅を申し込むつもりでいたんだけど、実は宿のオーナーがハウスボートを一艘所有していて、それをコックと船頭付で破格の値段で提供できると提案してきた

普通なら一艘チャーターして数万ルピーが相場なのだが、一泊二日食事つきで2000(3400円位)ルピーで手配してくれると言うのだから、考える暇もなく俺たちの結論は出ていた

さあ、いよいよ船出

宿の前の水路からスタートした俺たちのボートは、川幅が少しずつ膨張し、やがて夏の夜空に広がる花火のように急に広がり、大きな湖とも海ともいえない、晴れて表面は、白っぽく粉が吹いたように凪いでいるデルタ地帯に出た

デルタ地帯を抜けると再び川幅が狭くなり、川岸にはヤシの木や南国特有の植物が姿を見せ始める
辺りには黒い影を牽いたボートが増え始め、水面に何万もの波紋が次々と生まれていく。恐くメインエリアに到達したのだろう

時間通りに食事にありつけてご満悦そうなベノ君

皆船に乗っている間は何をするでもなく、ボーっと遠くを眺めてる時間が多かった

 ヤシの葉のあいだから、光のかけらが星のように光っていた


 最後の陽の輝きが、錆びたような色を湖面一面に漂わせる





夕方になるとボートを岸につけて上陸

どうしても川で泳ぎたいポールは何回も俺を誘うが、生活排水と混じりあった川に入る気になれず断ってシャワーを浴びようとすると

「そのシャワーの水はどこから引っ張ってきてると思う?」。。。そんな筈はない。ベノにあっさり断られ、どうしても俺をスイミング仲間に引き入れたいらしい

そんなポールを無視して俺はシャワーを浴びた。シャワーの水を見ながら考えてしまった。。いや、その事ではなく。多分 俺 すごい 疲れている

考えてみるとここ一ヶ月信じられないくらいの量の英語を喋っている。上達には持って来いだけど、疲れる。日本語がちょっと恋しい

普段なら日本人見ても中国人の振りしてやり過ごすけど、今なら自分から話しかけてしまうかもしれん

 素敵な寝室??

体の大きさの結果、ポールは外に、俺とベノは2人でこのベッドを使って寝ることになった

想像して欲しい、暑すぎるため男2人が蚊の羽音に悩まされながら上半身裸で、この素敵なベッドで仲良く寝る絵を

案の定、蒸し暑さと蚊の上に、深夜馬鹿インド人のボートが近くに停泊して大騒ぎしてたせいで、俺たちはまともに睡眠が取れなかった

ポールのすっきりした顔を見れば俺達との睡眠の質の差は一目両全だ

朝から早速ベノの愚痴を聞く羽目になったのは言うまでもない。彼曰く、この旅始って以来の最悪な夜だったらしい。ちなみにこの旅最高の水圧だったシャワーは数日前に泊まったコーチンのホテル。この旅、最高や最低が続く忙しいベノ君でした

船は午前中にゲストハウス前の水路に戻り、俺達はその足でそのままバカラに向った

ここでゲスハウスを決めるときにもひと悶着あったが、これが恐らく最後のバトル。俺達はこの街で別れることになっていた

ポールはそのまま更に南下して先っちょまで行った後、デリーに戻り、ドイツに帰国。ベノはもう少しインドをうろついてから、日本に行くらしい



バカラは白人が集まるビーチリゾート。崖の下に広がる縦長のビーチ、崖の上にはレストランやゲストハウスが軒を連ねるツーリストエリアになっていて、崖から伸びる階段を下りれば簡単にビーチにアクセスできる仕組みになっている

ここは俺達の旅のハイライトにもなった。今まで知り合った旅の仲間とバッタリ再会したり。またある時は、その仲間のうちのドイツ人だけが集まり、俺の部屋がドイツ人だらけになった。それでも彼らが俺の前で母国語で会話する事は無かった

ポールの誕生日も無事に迎えられ、20歳になった

実は俺とポールはインドのリシュケシュで一回会ってるのだ

会話はしてないが、リシュケシュのレストランで見た俺のタトゥーを急にこの日思い出したらしい。時期も殆ど同じなので間違いないだろう。だから、どうという事は無いんだけどな

 最後の3人での晩餐

いよいよ次の日お別れ

もう一年以上旅を続けてると、出会ったり別れたり、所謂一期一会に慣れてしまっていたけど、さすがに一ヶ月も同じ仲間で行動し続けたのはこれが始めてだったせいか、皆思うところはそれぞれあったようだ

なかでも一番別れを惜しんでくれたのは、途中から合流したベノ君です

日記では散々ぼろくそに書いてるけど、本当は凄いいい奴

よく別れる時に、お互いの国で再開の約束をするけど、いつもその後にその約束の一体何パーセントが実現するのだろうかと考えてしまう。でも、ベノが最後に言った一言は100%実現する確信がある。口論は絶えることが無かったが、俺たちの仲はそんな感じなのだ

ベノは一番優しい、ポールは一番大人、俺は。。。多分一番わがまま

欧米社会で年齢は関係ないとは言え、この一ヶ月間文句を言わず、俺に合わせ続けてくれたポール君にも感謝 感謝

二人と別れると、俺は朝一のバスで、インド最後の電車に乗るために、ティバンドラムに向った

インドは広大だ。旅して初めてその事実を体で実感した

特にそれを感じるのは電車に乗ってる時、車窓から流れる景色

世界の端っこのような荒野は奥行きのない乾いた風景。 鮮やかな直線と曲線で区画された田畑が延々と続く風景は、一幅の名画さながら。一面に濡れたように仄明るく見える草の一本一本が、青白く放電するように逆立つ草原。デジタルアルバムのように次々と変わる風景はインドそのもの

そして俺が最も好きだったのは、車窓から流れていく時間そのもの

車窓から景色が流れていく。遠くの木はゆっくりと流れていき、手前に移る木はあっという間に窓枠の外へ消え去り、新しい木が窓枠に飛び込んでくる

未来が減れば減った分だけ、過去の記憶として積み重なる。この景色のように遠く深い記憶はゆっくりと、近く浅い記憶はあっさりと窓枠から消えて色褪せていく

どうせ色あせてしまうなら、遠くをいつまでも眺めていたい・・・・

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