2013年12月24日火曜日

インドの楽園アンダマン島の生活が始まる?

飛行機のタラップへ足を乗せると南国特有の重苦しい空気が体中に絡みつく。温度はコルカタよりちょっと高いくらいだが、湿度が全然違う。慣れるまで息苦しさすら感じたが、飛行機を降りた瞬間のこの感覚はどこか懐かしさもあった

きっとこういう感覚を始めて味わったのは、ニュージーランドからフィリピンに飛んだ時だったかもしれない

初めての途上国の一人旅。不安と好奇心が複雑に絡み合い、ドリップコフィーにミルクを入れたみたいに、かき混ぜてもすぐには混ざらず、黒と白の渦を作ってゆっくりと混ざっていく

この重苦しい湿度はその時の感覚をふっと蘇らせてくれる。あの不安と好奇心の不思議なドリップコーフィーを。初めての土地のこういう感覚は嫌いではない


空港のイミグレカウンターでは入島に必要な許可証を簡単に発行してくれる。荷物をピックアップして外に出るとすぐにタクシーの客引きがやってくる

ボートベリアの中心地まで約5キロ。

前日は結局寝れず、空港のベンチに寝転がりながら、コルカタ空港の天井に書かれたインドの文字を眺めながら朝を迎えた。体調もまだ悪かった。普段なら歩くところだが、今回は客引きのいいなりになって目的のゲストハウスまで連れて行ってもらった

アミナゲストハウス。ロンリープラネットに載っている安宿だ。

チェックインしたらビールを買って、抗生物質を飲んで、アラームを昼の14時にセットしてコルカタ滞在時同様そのままベッドに倒れこんだ

目覚ましを14時にセットしたのはフェリーのチケット予約センターが14時から2時間だけやっているからだ。俺は既にコルカタからアンダマンへの往復チケットを予め取っていたので、2週間しか滞在期間が無かった。だから今回は一日たりとも無駄にしないぞと言う意気込みできたのだ

アラームが鳴り目を覚ますと、服を着替えて金と地図を持って外に出た。外はどんよりとしており空は紫色に染まって今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった

そんな空を眺めてると急に道を調べてチケットを買いに行くのが面倒になり、気がついたら右手にはチケットの変わりによく冷えたビールが握り締められており、俺は部屋に戻っていた

椅子にゆっくりと腰を落としビールを飲んでいると、外からドラムを叩く様な雨がトタンの屋根を激しく打つ音が聴こえて来た。雷つきのスコールだ。俺はチケットを買いに行かなくて良かったんだと自分に言い訳をして、再び午後の分の薬とビールを飲んで眠りに付いた

翌日の朝目が覚めた。頭はすっきりしており体も軽い、体調はすこぶる良かった。しかし、なにか変だ・・・痒い

腕を良く見ると虫に刺されたような後があり、それが痒い。最初は蚊か何かと思って気にもしてなかったんだけど、よく見ると体中に刺された後がある

それは特にかゆみもなく腫れてもいないし、一見して既に治り掛けてるように見えなくも無かったのでさして気にもしなかった。痒いのは先ほどの腕の一箇所だけ

しかしである、数時間後急に手の甲やその周辺が痒くなり始め、よく見ると先ほどまで治りかけていたと思った虫刺され後が真っ赤に腫れあがっていたのだ

それも凄まじい痒さで本能の赴くままにぼりぼりと掻いていたらいつの間にか虫刺され後は数倍の大きさにまで成長していた。これ以上掻くのもまずいと思った俺はとりあえず日本製のムヒをそこに塗りたくって痒みを抑える事に奮闘した

ようやくムヒで左手周辺の痒みがなくなったと思ったら今度は右腕、同じようにムヒで痒みを抑えていると数十分後には右手、今度は足、次は首と次々と刺され後が復活して腫れあがり、痒みが襲ってくる

一度復活した刺され後も2時間もすると元の色の無い状態に戻り、痒みもムヒ無しに引いてくのだが、数時間後にまた腫れだして痒みとの戦いが始めるのだ。そして体中の各パーツが時間差を置いて腫れ始めるので、一日中からだの何処かが痒くてかゆくてたまらない

恐らく刺されたときに、時間差を置いてやられたから、体の部位によって痒くなる時間差があるのだ。その上痒みも引いたり急に出たりなので、まるでモグラたたきをしているようだった

しかもこの痒みはこの日以来2週間続くのであった

虫刺され後には特徴があって、無秩序に海の岩に大量にくっついたフジツボのように見えなくもないが、よく見るとばらばらに刺された後でも一つのラインをかたどっているのだ。その上全て寝ている間にやられている

そしてこの特徴は主にアジアで猛威を振るっている南京虫に他ならない

噂はよく耳にしていたが、喰われたのは始めての経験。ここまで厄介な奴だとは思わなかった

早速宿のオーナーに報告するも一向に認めようとしない。別に責任を取れと言ってるわけでもないのに、それは蚊だとかなにかのアレルギーだとかぬかすし、今まで一度も南京虫なんて出たこと無いとか言って認める様子がない。そのくせ、部屋には後で南京虫用の殺虫スプレーを撒き散らしに来る。一回も出たこと無いのになんでそんな物を持っているのだろうか??

俺はささやかな復讐のため、これから先アンダマンやアンダマンに行くというツーリスト全てに「Amin guest house」で南京虫にボコボコにされたと言って周った。ちなみに英語では「bedbug」です

無事その日の午前中にhavelock島行きのチケットを手に入れた。

アンダマン島は玄関口となっているポートベリアから各諸島に向うフェリーが運航している。そしてほとんどのツーリストがhavelock島目当てで来るので、中にはポートベリアを素通りしてしまうツーリストも少なくない。俺もその予定だったんだけど、体調不良といつもの怠けが手伝って2泊もして時間を無駄にした挙句、南京虫にボコボコにされるという踏んだりけったりの目にあった

でも、痒いのをのぞけば体調はすっかり回復し、先行きは明るいものとなって来た

俺がこの島に来た主な目的はダイビングだったので、もしこのまま体調が悪いままだったらダイビング所ではなかった。下手したら南京虫の巣窟に何泊もしないといけない羽目になっていたかも知れない




2013年12月19日木曜日

コルカタへ

間抜けな奴ほど人がいい

頼まれてマーケットでダージリンティーを買ってたときの話

マーガレットホープの銘柄指定で頼まれ露天商にその銘柄を伝えると、露天商はそれより一ランク上のキャッスルトンを強く勧めてくる

俺が既に持ってるしこれは俺が飲むわけじゃないからと断ってるのに、英語が理解できないのかしつこく勧めてくる。いいお茶を飲んでもらいたいと思ってるのか、ただ高い紅茶を買わせたいのかその男の心中は定かではないがとに角断って、指定の銘柄を準備させた

値段は少し値下げ交渉して100グラムで450ルピー

細かいのがないから俺は「悪いね」と一言付け加えて彼に1050ルピーを手渡した

すると彼はお釣に900ルピーを渡してきた

お釣りが多すぎる。本来ならお釣は600ルピーなのに彼は900ルピーを渡してきたのだから300ルピー多い計算になる

あまりにもお釣りが多いので、俺が値段を勘違いしたのかと思って一度聞きなおすとやはり450ルピー

つまり俺は300ルピーほど得した事になる。どうせいっつも客を騙すのはインド人の方なんだし、返してやる必要はないかとも思ったんだけど、この間抜けなインド人を見てると気の毒になってきて一度チャンスを与えてみることにした

「これは450ルピーだよな?俺は1050ルピー払ったんだけど、お前のくれたお釣は900ルピーだ。なんかおかしいと思わないか?」 俺は相手の反応を楽しみたかったので、あえて300ルピー多すぎるとは言わなかった

すると少し戸惑った顔をしてから、おもむろに上を向きながら計算を始めた。そして次に男が取った行動は更に俺に100ルピーを渡してきた

俺は苦笑しながら「本当にこれでいいのか?俺はおかしいと思うんだけど」

すると彼はまた戸惑った顔で「何が気に入らないんだ?お釣はあってるだろう?」「俺はそうは思わないけど。おかしいんじゃないこれ。お前がそれでいいなら俺はもう行くけど」

すると彼は更に頭の中で暗算を始め、更に100ルピーを渡してきた。これで紅茶はほぼタダになってしまった。間抜けにも程がある

俺は自分でも気づかぬうちに口調が荒くなってたみたいで、再度指摘をすると今度は泣きそうな顔になりながら「一体どうしろっていうんだよ」と終に計算する事を放り投げてしまった

彼は俺が釣りが足りなくて文句を行ってると勘違いして次から次へと計算もまともにせずに、ほいほい金を渡してくる。それだけ気が弱く、相手が怒ってると思うと気が動転して、冷静に計算すらできなくなってしまうような奴なのだ

よっぽどもう放っといて、返って来た多すぎる釣を持ってそのまま行ってしまおうとも思ったが、ここまで来たら最後まで付き合ってやろうと思って、今一度チャンスをあげた

「よく考えるんだ。この紅茶は450ルピーだろ?俺はお前に1050ルピー払ってお前は俺に1100ルピー返した。俺は多いような気がするんだがお前がそれでいいと言うならもう行くよ。でも、その前にもう一度ゆっくり考えてみろ。俺は別に怒ってないし急いでもいない。だから冷静になってみろ」

すると男はまた計算を始め、その姿を見てるとじれったくなってくるから計算機を貸してやった

そしてようやく「あっ 俺が間違ってた」と言って、俺の手元からそっと多すぎたお釣500ルピーを抜き取った

そして俺がその場を離れようとすると、紅茶を一杯ご馳走させてくれと言って、紅茶を入れ始めた。更に男は俺の買った紅茶をもっとグレードが上のキャッスルトンにただで交換してやる言った

俺がその必要は無いと、さきに述べた理由を説明しても理解できないのか、不思議そうな顔をしていた。でもこれで最初にキャッスルトンを買うように強く勧めてきたのは、ただの彼の善意だと分かっただけでも満足だった

そして帰り際に何か提案してきたのだが、英語が酷すぎて何を言ってるのか分からない。辛うじてわかったのが、次の日の朝、一緒にあるところに行こう、俺はバイクを持っているから連れて行ってやる、と、いうような内容だったと思う

しかし一番重要な、何処に何をしに行くか、という事がわからない。それに俺はインド人と外で待ち合わせはしないことにしてるので、男が待ち合わせの時間と場所を指定してきたときに、わからないから俺のホテルまで迎えに来るように伝えた

来れば行くし来なければ行かなければいい。どっちに転んでも俺が骨折り損をする事はない

約束の時間は朝の6時で俺が起きたのが8時だったから結局彼が来たのか来なかったのかは知らないが、それもまた縁なのでそれでよしとした

そしてその日の夕方ホテルをチェックアウトして、コルカタに向う電車に乗るためNJPステーションに向った

俺の今回のチケットは3ACと呼ばれるもの

前の日記で軽く触れたかも知れないが、インドの電車にはセカンドクラス別名ジェネラルからファーストクラスまで約7種類近いシートが存在し、値段もそのクオリティーよって様々だ

主にバックパッカーと呼ばれる外国人ツーリストが乗ることになるのがスリーパー席か3ACとよばれるエアコン付の寝台車両

インドの長距離列車は殆どが深夜発のなで、必然的に寝台席を選ぶことになるのだ

そしてこの寝台車両とAC付の寝台車両の大きな違いは文字通りACが付いているか付いていないかの違いなんだけど、実は一番大きな違いはそこではない

インドの車両のクラスの違いは、クラスが上がれば上がるほどシートは少なくなり料金が高くなり、下に下がれば下がるほどシート数は多くなり料金も安くなる

それすなわちインド社会の経済ピラミッドそのもの、しいては未だにインドに残る悪習カーストの表れと言っても過言ではない

そしてACの付く席から料金が急に跳ね上がる

例えば今回俺が取ったチケット、NJPからコルカタまでの3ACチケット750ルピーに対して、普通の寝台は250ルピー。約3倍も値段が跳ね上がるのだ。この上には2AC ファーストチェアやファースト寝台などがあるが、一番高い席は飛行機と同じくらいするという事だ

つまり一般寝台とAC寝台では乗客が全然違う。一般寝台には普通の格好をしたインド人も乗ってるが、見るからに怪しい奴、汚い服を着た奴、無賃乗車、なんでもありだ。盗難も殆どがこの車両で発生している

それに比べて3ACに乗ってるインド人は身なりも綺麗だし、いきなり話しかけてきたり、人の事を興味本位でじろじろ見てきたりしない。話しかければもちろん話に応じるが、その対応も実に礼儀正しい

そして一般寝台とAC寝台は鍵付きのドアで仕切られているので、無賃乗車や他の車両の人間が入ってくることはできない。それすなわち寝ている間の盗難の確率は格段に下がるという事だ

その他にもAC寝台になると、車両は綺麗だし、寝る時間になるとシーツや枕などの寝具が一人一人配られるのだ

今の時期のインドの夜は少し肌寒いくらいでACなんて必要ないけど、これらの理由からAC席を好んで選択するツーリストも多く、俺もつい最近からこのAC席に嵌りだした

少々高いが金をケチって高いものを盗まれるより、始めから少しお金を払ってその確率を下げる。大事の前の小事、小さな虫を殺して大きな虫を生かす。それに今まで神経質な俺は一般寝台で寝れた験しが無かったのに、ACだと少し眠れるようになった

これだけの恩恵があると、例え3倍の値段だとしても払う価値はあるし一概に贅沢とは言えないだろう

チケットが高い分逃したときの被害も大きくなるので、乗る時は慎重にならざるを得ない。ましてや以前一度やらかしているので、今回は自分で発着ホームを調べた上で、更に10人近いインド人に尋ねて確認して乗った

俺のボックス席には4人の身なりの綺麗なインド人とドイツ人の年配の女性ドロシーが既に乗っていた

白髪のドロシーはゆっくりとした喋り方で、相手を安心させる雰囲気を持っていて、寝る前の話し相手としては最適であった

列車は翌日の朝30分遅れでコルカタのシアルダー駅に到着。ドロシーも俺も同じ目的地、コルカタ一のツーリスト街のサダルストリートだったからシェアタクシーを提案したら、駅のクーポンタクシーを利用するといって俺にもそれに乗るように言った。一人でも2人でも料金は同じだからと言ってタクシー代を払ってくれた

駅の広場に出るといつもとは違い、駅の広場はリキシャではなく黄色いタクシーが無秩序に溢れ返っている。そしていつものように、プリペイドカウンターを探すドロシーにタクシーの客引きが近寄ってくる

客引きがドロシーに話しかけた瞬間に彼女の顔が急に険しくなり、声も幾分低くなり対応する。まだ向こうが何か言う前からほぼ怒ったような対応に切り替わる。信じられなかった、あんなに穏やかで優しい彼女の豹変振りが

でも、その豹変振りを見えていると、話題には出なかったがインドで相当嫌な思いをしているのだろうという事が容易に想像できた。ドロシーもインドは初めてじゃなく、30代の頃から何回も来ているらしい、そしてその経験上からこの対応になったということだ。ある意味、彼女をここまで変えたインド人もなかなかの技量を持った民族である

客引きにプリペイドを使うからと断るドロシーに今日は休みだという客引き。もちろん俺もドロシーもそんな嘘は信じない。しかし、この時間帯は本当にやってなくて、結局最初に声を掛けてきたタクシーに200ルピーで乗ることにした。高いとは思ったが俺が払うわけではないので料金交渉に口は出さなかった

タクシーの窓から流れていく街の風景を眺めていると、インドのいつもの光景が広がっていた。歩道に無秩序に並ぶ日本の縁日のような屋台に横に転がっている人と犬とゴミの山。

インドの北の端っことは人も街並みも随分と違うんだなと思っていたら、タクシーが急に赤信号の中程で急ブレーキを踏んだ。その先には白い制服のようなものを着た男が手を上げて立っていた

恐らくタクシーが赤信号を無視しようとしたら、警官を発見して急ブレーキを踏んだのだろう

警官らしき男が走りよってくると、ベンガル語でタクシーの運転手と話し始め、1分後には口論に発展していた

運転手はギリギリの所で止まったから信号無視にはならないだろうと意義を唱えてる様にも見えた。しかし、警官の方もゆずる様子はなく、その様子をうんざりした顔でドロシーが眺めていた

するとまた同じ方向から信号無視をしたタクシーが通り過ぎようとして、すかさず警官が停止させた

また口論が始まるのかと思って眺めていると、タクシーの運転手の手の中には何かが握られている

それを警官に差し出すと、警官はまるでマラソンランナーが給水所で水を取るように爽やかな顔をしてさっと手の中の物を受け取ったかと思うと、すぐにそのタクシーの運転手を行かせてしまった

俺「賄賂だね」ドロシー「受け取ったわね」

それを見ていた客も、先に捕まった俺たちのタクシーの運転手もごくごく当たり前のようにことの成り行きを見ているだけだった

俺はまだ賄賂を請求されたり、自分から支払ったりしことは今のところないが、賄賂とはもっと後ろめたさを十分に出しながら、こっそりとやりとりするものだと思っていた

それがあんなに爽やかな顔をして受け取っているのを見せられると、まるではなから法律に規定されているのではないだろうかとさえ思えてくる

なぜ俺たちのタクシーは賄賂払わないのかは知らないが、賄賂を渡したタクシーが行ってしまうと再び口論が再開された

いくら待っても話は平行線を辿っているようで終わる様子も見受けられなかったので、ドロシーに他のタクシーを拾うか歩いていこうと言って、トランクから荷物をとりだしていると、警官が慌てて走りよってきて「あと一分だ 一分で終わらすから荷物を戻して車の中で待っててくれ」と、促された

なぜタクシーの運転手ではなく警官が焦って客を引き止めるのか、なにか裏がありそうだとは思ったが、ベンガル語を理解できない俺たちでは知るすべも無かった

警官は宣言どおり数分後にタクシーを開放して、俺たちは無事にサダルストリートにたどり着いた

ドロシーは電話で事前に宿を予約してて、すぐにチェックインできた。俺はその部屋に荷物を置かせてもらい、自分の宿を探しに行ったが、前日の電車でほとんど寝れなかったせいか体が少しだるく動き回りたくなかったので、結局ドロシーの横にある350ルピーの安宿にチャックインした

俺はアンダマン島へのトランジットで一日だけの滞在予定だったので特に予定もなく、流れでドロシーの観光に付き合った

サダルストリート周辺はビジネス街のようで、丁度日曜だったその日は殆どの店がシャッターを下ろしていて、静かなものだった

ドロシーについてパークストリートやマザーハウスなどを周っている内に体に違和感を感じ始めた

寒くも無いのに感じる寒気や、体の毛穴が全て開いてしまったかのようなすうすうする感じ、重いとも軽いとも感じて取れる足取り

ついにはマザーハウスまでたどり着いたときには懈怠感と吐き気を感じるようになっていた

ドロシーが中の文献を読み漁っている間俺は表のベンチで死んだように座っていたが体調はどんどん悪くなっていき、暑くもないのに汗まで出始めた

帰り際に俺の異変に気づいたドロシーが荷物を持ってあげるといってくれた。自分の2倍近い年を取ったそれも女性に荷物をもたせるのは気が引けたが、俺より身長が頭二つ分ある上にトレッキングで鍛えたしっかりした足腰を見てると、甘えてもいいんではないかと思えてきた。特に体が弱っている俺からは余計に大きく見えた彼女に結局荷物を持ってもらった

俺はそのまま薬局で抗生物質を買い、宿に戻りベッドに頭から倒れこんだ

夜の9時に目が覚め一度体を起こすが体調は相変わらずだった。外に出る気力も無かったが喉が渇いたので近くの酒屋でビールと水を買って部屋まで戻ってきた。ビールと薬を飲んで再び深い眠りに落ちた

次に目が覚めたのは朝の9時ごろ。幾分体調が良くなったように感じベッドから体を起こしてみたが、暫くすると昨日と何も変わっていないことにすぐに気づいた

しかしどんなにだるくてもホテルからは12までにチェックインしなくてはいけない。フライトが次の日の早朝にあったため、一晩空港で過ごしそのまま飛行機に乗るつもりでいたからだ。しかしこの体調で宿の外で一体どうすればいいのだろうか?

そこでまたドロシーに助けてもらうことにした。旅を始めた頃ならこんなずうずうしいお願いを会ったばかりの人に頼むことも無かったろうに、旅を続けていくうちにそんな事全く気にしなくなっていた

彼女の部屋に荷物を夜まで置かせてもらい、昼間の彼女がいない間も部屋で休ませてもらった。特にこの時期のコルカタの夜は結構冷える。この体調でコールドシャワーなんてとても浴びる気になれないので、彼女の部屋で借りたホットシャワーには大分助けられた気持ちになった

そのままバナナと薬を飲み、ベッドを借りて夜のフライトまでぐっすりと眠りについた




2013年12月13日金曜日

歩く

翌朝俺はカメラマンのマスジット共にガントクの町から8キロほど離れた滝へ向った。観光局は歩いてける距離ではないと言っていたが、実際往復16キロなんて誰でも歩ける距離だ。シェアタクシーを使えば片道数十ルピーでいける距離をわざわざ歩く必要がどこにあるんだと言いたかったのだろうけど、俺がハイキングがしたいんだと言ったら納得してくれた

実はスッキムエリアはヒマラヤもある事からトレッキング目的で来るツーリストがほとんどなのだ。俺もその一人だった

だがガントクの街でいろいろと調べていくうちに分かった事は、一人でのトレッキングが禁止されている事。必ず二人以上でガイドの同伴が必要なのだ。特にスッキムエリアの中国の国境に近いところや、更に北の方には特別なパーミッドが必要なのだ

スッキムエリアに入るにはパーミッドが必要なんだけど、それは近くの町で簡単に取れるし金もかからない。しかし、更に奥のエリアに入るには特別なパーミッドが必要だし、それはかなり高額な料金になるという話だ

ガイドにパーミッド、これらをツアー会社でアレンジしてもらうと一日のコストが3000~4000ルピー(5000円程度)にも上るという。さらにコースにもよるが平均で7~10日以上のコースが殆どなので、インドでは考えられない高額な費用がかかってしまう。故に諦めるしかなかったのだ

だからと言ってここまで来て何もしないで引き上げるのも、金と時間の無駄になるという以外にも、氷河を抱いたヒマラヤがあっさりと遠ざかっていくのが後ろ髪を引かれる思いだった

そこで禁止されていないトレックロード以外のところを歩き回ってやろうかとおもっだのだ。思いついたのが適当な距離で目的地を決めて、そこまで歩いていくと言うだけのもの

殆どが舗装された道路で、通常の登山やトレッキングみたいな面白さは無いだろうけど、それでもヒマラヤを眺めながら歩くのも悪くないと思ったの

その最初の試みが街から往復16㌔の滝まで歩いていくと言うものだった。マスジットが写真をどう撮るかも見てみたかったので彼の事も誘った。往復で歩いていく事も伝えたが、その方がいろんな被写体と出会えるので言って了解してくれた

予想通りではあったが、舗装道路をただ歩くのは面白くもないし大した被写体も発見できなかった。マスジットも殆どシャッターを切っていなかった

滝に着いたのは約2時間後。あまりに人工物が多すぎて自然の景観は拝めなかった


彼がフルートを聴きたいと言っていたので持ってきていた。ちょっとした広場で吹いているとインド人が観光客が10人前後集まってくる。15分前後聴くと飽きて去っていき、また暫くすると他のインド人観光客が集まって来て聴いていく。時間が経つと去っていきまた新たに他のインド人が集まってくる。自分の音で人の流れを作り出しているような気がして面白かった。たとえ暇つぶしだったとしても演奏で人の足を止める、これはとても大切な事

晴れていたためか温度も高く音も安定していた。最後のインド人が「ありがとう甘いメロディーを」と言ったのを最後に俺たちも帰ることにした

翌日は郊外にあるリムテックモナストリー(修道院)へ

片道26キロあったので行きはシェアタクシーを使い、帰りは歩いて帰ってくることにした。マスジットは前日のウォーキングで40歳の体に堪えたのか俺が歩いて帰ってくると言ったらついて来なかった

モナストリー自体は景色が良くて、ヒマラヤ山脈を見渡せると言う以外は面白いことは無かった



リムテックは谷を一つ越えた先にあるので、帰りは一度谷まで山を下り、そこからもう一度高度を上げる必要があった。とはいえ、登山に比べれば勾配も緩いし、ランニングシューズでも十分なくらい歩きやすかった



 遠いな・・・


 翌日は最初に訪れるはずだったペリンに向うことにした。既にガントクには5日近く滞在していたので良い頃合でもった。ペリン行きのシェアタクシーにのり約6時間の道のり。午後には到着した

ますます近くに見えるカチュンジャンガ


標高は2100Mとガントクより500M高いせいか昼間でも日陰はかなり寒い

地球の歩き方に載っていた町はこのペリンとガントクだけだったので、ペリンもそこそこ大きな町だと思っていたのだが、町というよりは村。人が生きていくのに最低限の物しかないにも関わらず、ホテルとレストランがジャングルで絡み合って競うように根を張ってる植物のように乱立している。それなのに民家らしい民家は見当たらないし、ホテルの数の割りには観光客は少なく、日本のバブルのころに一時的に流行った観光地のような雰囲気がわびしさを一層引き立てている

世界三位の高さを誇るカンチュンジャンガを近くで拝む以外ははっきり言って何も無い

俺は早速トレッキングの目的地を探すためにゲストハウスのスタッフに尋ねてみることにした

彼が勧めてくれたのがここから100k近く離れたターシディングの町まで歩いていって来いと言うものだった

今までは2キロ以上距離があるとすぐに歩ける距離じゃないと言われ、乗り物を使った移動を勧められるのにうんざりしていただけに、この男は中々話の分かる男である

最後に歩くのが嫌ならシェアジープもあるけどと付け加えるところがまたいい。あくまで歩く事を前提で話が進んでいる

俺はすっかりその提案を気に入ってしまい、早速次の日から出発する事にした

一日目はケチャパリレイクを目指して約30キロの行程

殆どが舗装された道で面白くないが迷う事はないし、途中にミニ売店みたいな物がちょこちょこあり、事前に水やら食料をたくさん用意しなくてすむので荷物もさほど重くはならない

朝早く出発して着いたのが夕方だったがさほど疲れはない。ケチャパリレイクの入り口付近には数件のゲストハウスがあったがチェックインする前に湖の方に行ってみた

ケチャパリレイクは仏教の聖地の一つで、仏教徒にとっては大きな意味がある湖だという事だ。湖は高くない山に囲まれ、山間に落ちかけた太陽光を反射し、その周りを取り囲むようにタルチョがはためいていた



湖には中程まで小さな橋が掛けられていて、僧侶や一般の観光客、皆それぞれ思い思いに湖に向って手をあせている光景がなんともまた聖地らしかった

翌日はユクソムまで。約4時間の山道をトレッキング

午後には着いて翌日はターシリングまで半日ほど歩く予定だったのが、ユクソムのゲストハウスがあまりに居心地が良すぎて滞在が伸び、結局パーミッドの期限ギリギリまで滞在。そのまま慌ててペリンまで荷物をピックアップしにトンボ帰りし、シリグリまで戻るのであった・・・・・


2013年12月11日水曜日

更に北へ

滞在が長期になると、しっかりと根がはえて再度旅を始めるのが億劫になってくる。とくにインドの様に移動中は常にスリやボッタクリに気を払っていないといけないような国は余計に

ダージリンの滞在も長いもので2週間を超え、毎日特にする事も無い。紅茶の飲み歩きをしてみたり、散髪をしてみたり、毎朝8500Mの山を眺めたり、マーケットで色んな色の肌のいろを持った人たちの流れを眺めたり

特別な事は何も無いもないのだけど、きっかけがないと町を出る事が出来ないくらい腰が日に日に重くなっていた

今回はここで友達になったダーラとジェンが同じ日に町を出ることになっていたので、この機会を逃す手は無い。俺も便乗して同じ日に町を出ることにした

そうと決まれば動きは早いもので、溜まっていた洗濯物をランドリーに一気に出して、出発当日に仕上げてもらうようにした。宿の精算を済まし、お気に入りのローカル食堂でランチを済まし、仲良くなった友達に挨拶を済ませて、次の日の出発に備えた

更に北へ、ヒマラヤを挟み中国 ブータン ネパールと国境を接するスッキム地方に行く事になっていた。スッキム地方に何があるのかは知らなかった。ただパトナからダージリンに向う電車の中で、地元のインド人が言った「much better than darjeeling」の言葉がどうしても忘れられなくて、ダージリン滞在中にスッキム行きを決めたのだ

翌日の朝、とくに時間が決まっていなかった俺は、ジェンの電車に合わせてシェアジープをつかまえシリグリまで一緒に行って、いつの日かの再開を約束しそこで別れた

しかし、俺はここで大きなミスを犯していたのだ。俺は元々シリグリはダージリンとスッキムの間にある町だと思っていたら、ダージリンがシリグリとスッキムの間にある中間の町だったのだ。つまりスッキム地方のアクセスはダージリンから直接できるのに、俺はわざわざ一度振出まで戻ってきてしまったのだ。なんとも出目の悪い人生ゲーム


しかもバスターミナルに行ったら、俺がスッキムの最初の目的地にしていたペリン行きのバスが終わっており、シェアジープも出ていないと言われた。シリグリにこのまま一泊して次の日のバスを待つ事も考えたが、今まで長期滞在しすぎたせいか、気持ちは少しでも駒を進めておきたかった

そこで一度バスターミナルでスッキム地方の地図を広げてじっくり眺めてみると、東の方に大きな文字で「GANTOK」と書かれていた。聞いた事ある町だし、他の町より大きな文字で書かれているんだから何かあるだろうと思って早速ガントク行きのシェアジープを探した

ジープはすぐに見つかり、どうやら俺が最後の客だったらしく、荷物を上げたらすぐにジープは出発した

相変わらず詰め込めるだけ人を詰め込むアジアの乗り物。普通の3列席のジープなのに中列と後列は4人ずつ人を押し込み、助手席には2人。このシェアジープと言う乗り物、もちろん何処に乗っても辛いのは変わらないが、乗るポジションによって若干快適さが違うのだ。一番快適なのは助手席。一つの椅子に2人座るとはいえ、同じスペースに4人乗ってる後ろよりは明らかに快適なのだ。次にマシなのが中列 後列席のなかならドア側である。基本的には3人掛けのシートの筈なので、大人が4人も乗ると全員背中を背もたれにくっつける事ができない。常に誰かが前かがみになってないと人が納まりきらない。そんな状態でもドア側に座ればドアに背中をあずける事が出来るので、いくらかマシなのである

俺は今回一番最後の客になったわけだから、選ぶ事はできない。皆が一番座りたくないと思う後列の真ん中の席に、両側からインド人にサンドイッチにされながら座るしかなかった

車はパンクしたり、お茶休憩を取ったりしながら6時間後の夜7時にガントクの町外れに到着した。ひとつ言わせてもらうとすると、きついと言われているインドのローカルバスが天国に感じる

更に街の中心に移動するにはシェアタクシーと言う乗り物に乗らないといけないらしい。最初歩いていこうとしたのだが、道を聞いた流れでいつの間にか乗る羽目になっていた。料金もさすがシェアだけあって市内どこでもわずか20ルピー

タクシーは何人かの客を乗せ急な坂をぐんぐんと上がっていく。成る程、距離はたったの5キロ程度でも歩く事を勧めないわけだ。

道すがらタクシーの中から眺めるガントクの町は実に不思議なものだった。広くてゴミの落ちていない道路に、夜でも綺麗にライトアップされた服飾品のセレクトショップが並ぶ。一体こんな高そうな店に誰が入るんだ?牛もいなければ物乞いもいないし、路上生活者の姿もない

ダージリンもそうだったがここはますますインド離れしてきている

後でガイドブックをみて分かったのだが、ガントクはスッキム州の州都らしく、スッキムでは一番栄えている街。ガントクに最初に来たがために俺はスッキムがいかに田舎なのかという事を後々思い知らされることになるのだ

街の中心でタクシーに降ろして貰い、目に付いた宿を何件か当たってみたがどこも部屋のクオリティーの割には高い。ロンプラに載っている宿は更に街の中心に位置するのだが、適当に宿をあたるより、「バックパッカーに人気」の謳い文句につられてみる事にした

ちなみにスッキム地方は地球の歩き方では殆どカバーされてなく、この辺まで来るとロンプラの方が圧倒的に情報量が強い。バックパッカーに人気らしい「ニューモダンセントラルロッジ」に着いたら早速部屋を見せてもらった

部屋は250ルピーと500ルピーの2種類があって、高いほうの部屋は広くてとに角眺めがいいらしいのだが、既に夜だったために眺めを確認する事はできなかった。しかし、成る程納得、部屋の設備や綺麗さは600ルピー前後のホテルと同じなのに明らかにこちらの方が安い。ガイドブックに載るのにはやはり何か理由があるのだ。俺は狭い部屋が嫌いなため、次の日の眺めに期待して500ルピーの部屋を選択した


日が街を照らすころになると、窓の向こうに巨大なヒマラヤ山脈が姿を表した。まだ頭もまどろむ中目を擦りながら見る外の景色は砂漠に忽然と姿を現すオアシスとなんら変わりはない。昨晩までなにも無かったところに、8500mくらいのカンチュンジャンガが突如として姿を現したのだ。窓越しから見るその景色は絵画でも眺めているようだった

宿の一階はレストランになっており、どういう訳か日本人が多い。そのうちの一人の女性が話しかけてくれた。どうやらメディテーションをしに来ているらしいんだけど、俺がメディテーションは興味が無いと言ったらそれ以降会話が続く事はなかった

日本人とコミュニケーションを取るのを早々に諦めて、隣に大人しく座っていた色の黒い男に話かけてみると、彼は俺を見た事があると言った

実はダージリンにいる時に路上で写真を売ってる露店商の前を通りかかり、じっくりと一枚一枚眺めた事があった。どれもいい写真なんだけど、一枚500ルピーとインドの物価ではかなり高い価格設定。一体どんな人が買うんだろうかと、連れと一緒に話しながら通り過ぎたのを覚えている

その時の露店商が彼で、その時少し俺と話したのを覚えていたのだ。彼の名前はマスジットで、南インドの端っこケララから北インドの端っこスッキムまで何ヶ月もかけて旅をしてきたらしいのだ

驚くべきが彼の旅のスタイル。旅先で写真を撮り、それを露店で売る、そこから得た金で旅を続ける。自給自足の旅のスタイルは正に俺が求めるところ、興味をそそられないはずがなかった。いつもなら適当に話して引き上げるところだが、彼そのものに興味が沸いてしまい、次から次へと就職の面接のように質問を浴びせていった

そして疑問に思ったことを全てストレートに聞いていった「ダージリンで見た写真は覚えてるけど、確か一枚500ルピーだったよね?確かにどれも素晴らしい写真だと思ったけど、一枚500ルピーは高いと思ったんだ。売れた?」「もちろんさ、全部売れたよ。高いと思うのはただの写真だと思ってるからさ。俺は写真を売ってるんじゃなくて、自分のハートを売っているんだよ」

「ハートか・・・俺も売れるハートを持ってるといいんだけど。それでどんな人が買ってくの?普通のインド人にはやっぱり高すぎると思うんだけど」「そうんだね。ダージリンでは高級ホテルがロビー用に大量に買ってくれたよ。もちろん大口だったから値段も半額にしたけど」

「じゃあお金もたくさん入ってきたわけだ」と俺がにやりと言ったら「そうでもない、いつもギリギリでやってるよ。俺は貧乏なんだよ」

「インド人は9割が貧乏でしょ。旅ができるだけ裕福な方だと思うけど」「そりゃそうだけど、やっぱり日本人とは違うよ」と言った彼の手元にあったのは日本のニコンのカメラ

俺も詳しくないから型見ても判断しかねるけど、彼が使っているカメラは5年位前の中級機

それを見て俺はあることを確かめるために急に彼の作品が見てみてみたくなった

「あの良かったらなんだけど、君の作品を見せてくれないかな」「構わないけど恥ずかしいな・・・」

「写真を売って歩いているならもう立派なプロじゃないか。プロが恥ずかしがる理由がどこにある?」「俺はプロなんかじゃないよ」と彼はうつむきなが恥ずかしそうに答える。俺が今まで関わったインド人の殆どが、根拠の無い自信家で大ボラ吹きだっただけに、彼の紳士かつ謙虚な態度はまるで真冬にかじるスイカのように青臭くもあり新鮮でもあった

彼は俺の頼みを了解して、部屋までアルバムをとりに戻り、数分後写真が100枚前後入りそうな分厚いアルバムを2冊持ってきてくれた

一枚一枚、まるでコレクターが自分の集めた切手を大事に眺めるように見ていった。やっぱりだ

何がいいのかなんてまるでわからないし説明もできない。でも、彼の作品はひきつけられる何かがある

俺がそう思っているだけではなく、それが事実なのだ。だから彼は未だに旅を続けてられるし、ここにいる

被写体自体は大したことない。とくに面白くも無いものが彼のフレームに入るとその被写体は魂をこめられた人形のように急に生き生きと躍動的に動き出し、今にも写真から飛び出してきそうになる

俺が気になった一つの白黒写真があった。被写体は老人がチャイを入れてるところで、写真は熱々の鍋を持ち上げ、茶漉しを使いながらチャイを注いでいるところに大量の湯気が出ているお馴染みの光景。ぼーっとみてるとあたかも目の前にチャイがあるようだった

俺が「この写真は味があっていいね」と月並みなコメントをすると彼は「この写真は自分が納得できるまで毎日撮り続けて一ヶ月かけて3000枚以上撮ったんだよ」

俺が驚いて二度聞きすると彼は「写真なんてそんなもんだよ」と一言添えた。俺が確かめたかった事は、作品にカメラの性能がどう影響するかという事だった

彼は時代遅れのカメラでも、腕と手間をかけることによってそれを補っているのだ。そしてそれを理解した上で「写真なんてそんなものだ」と一言だけ添えたのだ

俺は自分とは全然違う彼の生き方やキャラクターを気に入り、彼に一杯奢ってやりたくなった。そのまま酒を自分と彼に買ってやり、彼の部屋で2人で飲み直す事にした

今度は俺の写真を見たいと言うので、撮ったやつを彼に見せてやった

俺はいつも撮った写真で自分でいいと思ったものを選んでFBにアップして、それ以外は削除するかアルバムに保存してしまっている

彼に見せたのはそのアルバムとFBに載せてある写真両方なんだけど、彼が気に入ってくれた写真はアルバムにしまってあった没写真が殆どだった。俺には何がいいのかわからないし、ほとんどたまたま撮れた様な写真ばかりが彼の感性を刺激したらしい

写真はただフレームに収めるだけではなく、大量に撮った中からいい写真を選ぶのもまた技術なのかもしれないと思った

他にも彼からみて惜しい写真があるとアドバイスをくれるんだけど、必ず一言「これはただの俺の意見だから、気を悪くしないでくれよ」といちいち一眼初心者の俺に必要の無い気を使ってくれる

俺はそんな彼の写真を撮ってるところや、被写体の切り取り方を見てみたくなった。きっと得られる者があるのではないかと思った