滞在が長期になると、しっかりと根がはえて再度旅を始めるのが億劫になってくる。とくにインドの様に移動中は常にスリやボッタクリに気を払っていないといけないような国は余計に
ダージリンの滞在も長いもので2週間を超え、毎日特にする事も無い。紅茶の飲み歩きをしてみたり、散髪をしてみたり、毎朝8500Mの山を眺めたり、マーケットで色んな色の肌のいろを持った人たちの流れを眺めたり
特別な事は何も無いもないのだけど、きっかけがないと町を出る事が出来ないくらい腰が日に日に重くなっていた
今回はここで友達になったダーラとジェンが同じ日に町を出ることになっていたので、この機会を逃す手は無い。俺も便乗して同じ日に町を出ることにした
そうと決まれば動きは早いもので、溜まっていた洗濯物をランドリーに一気に出して、出発当日に仕上げてもらうようにした。宿の精算を済まし、お気に入りのローカル食堂でランチを済まし、仲良くなった友達に挨拶を済ませて、次の日の出発に備えた
更に北へ、ヒマラヤを挟み中国 ブータン ネパールと国境を接するスッキム地方に行く事になっていた。スッキム地方に何があるのかは知らなかった。ただパトナからダージリンに向う電車の中で、地元のインド人が言った「much better than darjeeling」の言葉がどうしても忘れられなくて、ダージリン滞在中にスッキム行きを決めたのだ
翌日の朝、とくに時間が決まっていなかった俺は、ジェンの電車に合わせてシェアジープをつかまえシリグリまで一緒に行って、いつの日かの再開を約束しそこで別れた
しかし、俺はここで大きなミスを犯していたのだ。俺は元々シリグリはダージリンとスッキムの間にある町だと思っていたら、ダージリンがシリグリとスッキムの間にある中間の町だったのだ。つまりスッキム地方のアクセスはダージリンから直接できるのに、俺はわざわざ一度振出まで戻ってきてしまったのだ。なんとも出目の悪い人生ゲーム
しかもバスターミナルに行ったら、俺がスッキムの最初の目的地にしていたペリン行きのバスが終わっており、シェアジープも出ていないと言われた。シリグリにこのまま一泊して次の日のバスを待つ事も考えたが、今まで長期滞在しすぎたせいか、気持ちは少しでも駒を進めておきたかった
そこで一度バスターミナルでスッキム地方の地図を広げてじっくり眺めてみると、東の方に大きな文字で「GANTOK」と書かれていた。聞いた事ある町だし、他の町より大きな文字で書かれているんだから何かあるだろうと思って早速ガントク行きのシェアジープを探した
ジープはすぐに見つかり、どうやら俺が最後の客だったらしく、荷物を上げたらすぐにジープは出発した
相変わらず詰め込めるだけ人を詰め込むアジアの乗り物。普通の3列席のジープなのに中列と後列は4人ずつ人を押し込み、助手席には2人。このシェアジープと言う乗り物、もちろん何処に乗っても辛いのは変わらないが、乗るポジションによって若干快適さが違うのだ。一番快適なのは助手席。一つの椅子に2人座るとはいえ、同じスペースに4人乗ってる後ろよりは明らかに快適なのだ。次にマシなのが中列 後列席のなかならドア側である。基本的には3人掛けのシートの筈なので、大人が4人も乗ると全員背中を背もたれにくっつける事ができない。常に誰かが前かがみになってないと人が納まりきらない。そんな状態でもドア側に座ればドアに背中をあずける事が出来るので、いくらかマシなのである
俺は今回一番最後の客になったわけだから、選ぶ事はできない。皆が一番座りたくないと思う後列の真ん中の席に、両側からインド人にサンドイッチにされながら座るしかなかった
車はパンクしたり、お茶休憩を取ったりしながら6時間後の夜7時にガントクの町外れに到着した。ひとつ言わせてもらうとすると、きついと言われているインドのローカルバスが天国に感じる
更に街の中心に移動するにはシェアタクシーと言う乗り物に乗らないといけないらしい。最初歩いていこうとしたのだが、道を聞いた流れでいつの間にか乗る羽目になっていた。料金もさすがシェアだけあって市内どこでもわずか20ルピー
タクシーは何人かの客を乗せ急な坂をぐんぐんと上がっていく。成る程、距離はたったの5キロ程度でも歩く事を勧めないわけだ。
道すがらタクシーの中から眺めるガントクの町は実に不思議なものだった。広くてゴミの落ちていない道路に、夜でも綺麗にライトアップされた服飾品のセレクトショップが並ぶ。一体こんな高そうな店に誰が入るんだ?牛もいなければ物乞いもいないし、路上生活者の姿もない
ダージリンもそうだったがここはますますインド離れしてきている
後でガイドブックをみて分かったのだが、ガントクはスッキム州の州都らしく、スッキムでは一番栄えている街。ガントクに最初に来たがために俺はスッキムがいかに田舎なのかという事を後々思い知らされることになるのだ
街の中心でタクシーに降ろして貰い、目に付いた宿を何件か当たってみたがどこも部屋のクオリティーの割には高い。ロンプラに載っている宿は更に街の中心に位置するのだが、適当に宿をあたるより、「バックパッカーに人気」の謳い文句につられてみる事にした
ちなみにスッキム地方は地球の歩き方では殆どカバーされてなく、この辺まで来るとロンプラの方が圧倒的に情報量が強い。バックパッカーに人気らしい「ニューモダンセントラルロッジ」に着いたら早速部屋を見せてもらった
部屋は250ルピーと500ルピーの2種類があって、高いほうの部屋は広くてとに角眺めがいいらしいのだが、既に夜だったために眺めを確認する事はできなかった。しかし、成る程納得、部屋の設備や綺麗さは600ルピー前後のホテルと同じなのに明らかにこちらの方が安い。ガイドブックに載るのにはやはり何か理由があるのだ。俺は狭い部屋が嫌いなため、次の日の眺めに期待して500ルピーの部屋を選択した
日が街を照らすころになると、窓の向こうに巨大なヒマラヤ山脈が姿を表した。まだ頭もまどろむ中目を擦りながら見る外の景色は砂漠に忽然と姿を現すオアシスとなんら変わりはない。昨晩までなにも無かったところに、8500mくらいのカンチュンジャンガが突如として姿を現したのだ。窓越しから見るその景色は絵画でも眺めているようだった
宿の一階はレストランになっており、どういう訳か日本人が多い。そのうちの一人の女性が話しかけてくれた。どうやらメディテーションをしに来ているらしいんだけど、俺がメディテーションは興味が無いと言ったらそれ以降会話が続く事はなかった
日本人とコミュニケーションを取るのを早々に諦めて、隣に大人しく座っていた色の黒い男に話かけてみると、彼は俺を見た事があると言った
実はダージリンにいる時に路上で写真を売ってる露店商の前を通りかかり、じっくりと一枚一枚眺めた事があった。どれもいい写真なんだけど、一枚500ルピーとインドの物価ではかなり高い価格設定。一体どんな人が買うんだろうかと、連れと一緒に話しながら通り過ぎたのを覚えている
その時の露店商が彼で、その時少し俺と話したのを覚えていたのだ。彼の名前はマスジットで、南インドの端っこケララから北インドの端っこスッキムまで何ヶ月もかけて旅をしてきたらしいのだ
驚くべきが彼の旅のスタイル。旅先で写真を撮り、それを露店で売る、そこから得た金で旅を続ける。自給自足の旅のスタイルは正に俺が求めるところ、興味をそそられないはずがなかった。いつもなら適当に話して引き上げるところだが、彼そのものに興味が沸いてしまい、次から次へと就職の面接のように質問を浴びせていった
そして疑問に思ったことを全てストレートに聞いていった「ダージリンで見た写真は覚えてるけど、確か一枚500ルピーだったよね?確かにどれも素晴らしい写真だと思ったけど、一枚500ルピーは高いと思ったんだ。売れた?」「もちろんさ、全部売れたよ。高いと思うのはただの写真だと思ってるからさ。俺は写真を売ってるんじゃなくて、自分のハートを売っているんだよ」
「ハートか・・・俺も売れるハートを持ってるといいんだけど。それでどんな人が買ってくの?普通のインド人にはやっぱり高すぎると思うんだけど」「そうんだね。ダージリンでは高級ホテルがロビー用に大量に買ってくれたよ。もちろん大口だったから値段も半額にしたけど」
「じゃあお金もたくさん入ってきたわけだ」と俺がにやりと言ったら「そうでもない、いつもギリギリでやってるよ。俺は貧乏なんだよ」
「インド人は9割が貧乏でしょ。旅ができるだけ裕福な方だと思うけど」「そりゃそうだけど、やっぱり日本人とは違うよ」と言った彼の手元にあったのは日本のニコンのカメラ
俺も詳しくないから型見ても判断しかねるけど、彼が使っているカメラは5年位前の中級機
それを見て俺はあることを確かめるために急に彼の作品が見てみてみたくなった
「あの良かったらなんだけど、君の作品を見せてくれないかな」「構わないけど恥ずかしいな・・・」
「写真を売って歩いているならもう立派なプロじゃないか。プロが恥ずかしがる理由がどこにある?」「俺はプロなんかじゃないよ」と彼はうつむきなが恥ずかしそうに答える。俺が今まで関わったインド人の殆どが、根拠の無い自信家で大ボラ吹きだっただけに、彼の紳士かつ謙虚な態度はまるで真冬にかじるスイカのように青臭くもあり新鮮でもあった
彼は俺の頼みを了解して、部屋までアルバムをとりに戻り、数分後写真が100枚前後入りそうな分厚いアルバムを2冊持ってきてくれた
一枚一枚、まるでコレクターが自分の集めた切手を大事に眺めるように見ていった。やっぱりだ
何がいいのかなんてまるでわからないし説明もできない。でも、彼の作品はひきつけられる何かがある
俺がそう思っているだけではなく、それが事実なのだ。だから彼は未だに旅を続けてられるし、ここにいる
被写体自体は大したことない。とくに面白くも無いものが彼のフレームに入るとその被写体は魂をこめられた人形のように急に生き生きと躍動的に動き出し、今にも写真から飛び出してきそうになる
俺が気になった一つの白黒写真があった。被写体は老人がチャイを入れてるところで、写真は熱々の鍋を持ち上げ、茶漉しを使いながらチャイを注いでいるところに大量の湯気が出ているお馴染みの光景。ぼーっとみてるとあたかも目の前にチャイがあるようだった
俺が「この写真は味があっていいね」と月並みなコメントをすると彼は「この写真は自分が納得できるまで毎日撮り続けて一ヶ月かけて3000枚以上撮ったんだよ」
俺が驚いて二度聞きすると彼は「写真なんてそんなもんだよ」と一言添えた。俺が確かめたかった事は、作品にカメラの性能がどう影響するかという事だった
彼は時代遅れのカメラでも、腕と手間をかけることによってそれを補っているのだ。そしてそれを理解した上で「写真なんてそんなものだ」と一言だけ添えたのだ
俺は自分とは全然違う彼の生き方やキャラクターを気に入り、彼に一杯奢ってやりたくなった。そのまま酒を自分と彼に買ってやり、彼の部屋で2人で飲み直す事にした
今度は俺の写真を見たいと言うので、撮ったやつを彼に見せてやった
俺はいつも撮った写真で自分でいいと思ったものを選んでFBにアップして、それ以外は削除するかアルバムに保存してしまっている
彼に見せたのはそのアルバムとFBに載せてある写真両方なんだけど、彼が気に入ってくれた写真はアルバムにしまってあった没写真が殆どだった。俺には何がいいのかわからないし、ほとんどたまたま撮れた様な写真ばかりが彼の感性を刺激したらしい
写真はただフレームに収めるだけではなく、大量に撮った中からいい写真を選ぶのもまた技術なのかもしれないと思った
他にも彼からみて惜しい写真があるとアドバイスをくれるんだけど、必ず一言「これはただの俺の意見だから、気を悪くしないでくれよ」といちいち一眼初心者の俺に必要の無い気を使ってくれる
俺はそんな彼の写真を撮ってるところや、被写体の切り取り方を見てみたくなった。きっと得られる者があるのではないかと思った
ダージリンの滞在も長いもので2週間を超え、毎日特にする事も無い。紅茶の飲み歩きをしてみたり、散髪をしてみたり、毎朝8500Mの山を眺めたり、マーケットで色んな色の肌のいろを持った人たちの流れを眺めたり
特別な事は何も無いもないのだけど、きっかけがないと町を出る事が出来ないくらい腰が日に日に重くなっていた
今回はここで友達になったダーラとジェンが同じ日に町を出ることになっていたので、この機会を逃す手は無い。俺も便乗して同じ日に町を出ることにした
そうと決まれば動きは早いもので、溜まっていた洗濯物をランドリーに一気に出して、出発当日に仕上げてもらうようにした。宿の精算を済まし、お気に入りのローカル食堂でランチを済まし、仲良くなった友達に挨拶を済ませて、次の日の出発に備えた
更に北へ、ヒマラヤを挟み中国 ブータン ネパールと国境を接するスッキム地方に行く事になっていた。スッキム地方に何があるのかは知らなかった。ただパトナからダージリンに向う電車の中で、地元のインド人が言った「much better than darjeeling」の言葉がどうしても忘れられなくて、ダージリン滞在中にスッキム行きを決めたのだ
翌日の朝、とくに時間が決まっていなかった俺は、ジェンの電車に合わせてシェアジープをつかまえシリグリまで一緒に行って、いつの日かの再開を約束しそこで別れた
しかし、俺はここで大きなミスを犯していたのだ。俺は元々シリグリはダージリンとスッキムの間にある町だと思っていたら、ダージリンがシリグリとスッキムの間にある中間の町だったのだ。つまりスッキム地方のアクセスはダージリンから直接できるのに、俺はわざわざ一度振出まで戻ってきてしまったのだ。なんとも出目の悪い人生ゲーム
しかもバスターミナルに行ったら、俺がスッキムの最初の目的地にしていたペリン行きのバスが終わっており、シェアジープも出ていないと言われた。シリグリにこのまま一泊して次の日のバスを待つ事も考えたが、今まで長期滞在しすぎたせいか、気持ちは少しでも駒を進めておきたかった
そこで一度バスターミナルでスッキム地方の地図を広げてじっくり眺めてみると、東の方に大きな文字で「GANTOK」と書かれていた。聞いた事ある町だし、他の町より大きな文字で書かれているんだから何かあるだろうと思って早速ガントク行きのシェアジープを探した
ジープはすぐに見つかり、どうやら俺が最後の客だったらしく、荷物を上げたらすぐにジープは出発した
相変わらず詰め込めるだけ人を詰め込むアジアの乗り物。普通の3列席のジープなのに中列と後列は4人ずつ人を押し込み、助手席には2人。このシェアジープと言う乗り物、もちろん何処に乗っても辛いのは変わらないが、乗るポジションによって若干快適さが違うのだ。一番快適なのは助手席。一つの椅子に2人座るとはいえ、同じスペースに4人乗ってる後ろよりは明らかに快適なのだ。次にマシなのが中列 後列席のなかならドア側である。基本的には3人掛けのシートの筈なので、大人が4人も乗ると全員背中を背もたれにくっつける事ができない。常に誰かが前かがみになってないと人が納まりきらない。そんな状態でもドア側に座ればドアに背中をあずける事が出来るので、いくらかマシなのである
俺は今回一番最後の客になったわけだから、選ぶ事はできない。皆が一番座りたくないと思う後列の真ん中の席に、両側からインド人にサンドイッチにされながら座るしかなかった
車はパンクしたり、お茶休憩を取ったりしながら6時間後の夜7時にガントクの町外れに到着した。ひとつ言わせてもらうとすると、きついと言われているインドのローカルバスが天国に感じる
更に街の中心に移動するにはシェアタクシーと言う乗り物に乗らないといけないらしい。最初歩いていこうとしたのだが、道を聞いた流れでいつの間にか乗る羽目になっていた。料金もさすがシェアだけあって市内どこでもわずか20ルピー
タクシーは何人かの客を乗せ急な坂をぐんぐんと上がっていく。成る程、距離はたったの5キロ程度でも歩く事を勧めないわけだ。
道すがらタクシーの中から眺めるガントクの町は実に不思議なものだった。広くてゴミの落ちていない道路に、夜でも綺麗にライトアップされた服飾品のセレクトショップが並ぶ。一体こんな高そうな店に誰が入るんだ?牛もいなければ物乞いもいないし、路上生活者の姿もない
ダージリンもそうだったがここはますますインド離れしてきている
後でガイドブックをみて分かったのだが、ガントクはスッキム州の州都らしく、スッキムでは一番栄えている街。ガントクに最初に来たがために俺はスッキムがいかに田舎なのかという事を後々思い知らされることになるのだ
街の中心でタクシーに降ろして貰い、目に付いた宿を何件か当たってみたがどこも部屋のクオリティーの割には高い。ロンプラに載っている宿は更に街の中心に位置するのだが、適当に宿をあたるより、「バックパッカーに人気」の謳い文句につられてみる事にした
ちなみにスッキム地方は地球の歩き方では殆どカバーされてなく、この辺まで来るとロンプラの方が圧倒的に情報量が強い。バックパッカーに人気らしい「ニューモダンセントラルロッジ」に着いたら早速部屋を見せてもらった
部屋は250ルピーと500ルピーの2種類があって、高いほうの部屋は広くてとに角眺めがいいらしいのだが、既に夜だったために眺めを確認する事はできなかった。しかし、成る程納得、部屋の設備や綺麗さは600ルピー前後のホテルと同じなのに明らかにこちらの方が安い。ガイドブックに載るのにはやはり何か理由があるのだ。俺は狭い部屋が嫌いなため、次の日の眺めに期待して500ルピーの部屋を選択した
日が街を照らすころになると、窓の向こうに巨大なヒマラヤ山脈が姿を表した。まだ頭もまどろむ中目を擦りながら見る外の景色は砂漠に忽然と姿を現すオアシスとなんら変わりはない。昨晩までなにも無かったところに、8500mくらいのカンチュンジャンガが突如として姿を現したのだ。窓越しから見るその景色は絵画でも眺めているようだった
宿の一階はレストランになっており、どういう訳か日本人が多い。そのうちの一人の女性が話しかけてくれた。どうやらメディテーションをしに来ているらしいんだけど、俺がメディテーションは興味が無いと言ったらそれ以降会話が続く事はなかった
日本人とコミュニケーションを取るのを早々に諦めて、隣に大人しく座っていた色の黒い男に話かけてみると、彼は俺を見た事があると言った
実はダージリンにいる時に路上で写真を売ってる露店商の前を通りかかり、じっくりと一枚一枚眺めた事があった。どれもいい写真なんだけど、一枚500ルピーとインドの物価ではかなり高い価格設定。一体どんな人が買うんだろうかと、連れと一緒に話しながら通り過ぎたのを覚えている
その時の露店商が彼で、その時少し俺と話したのを覚えていたのだ。彼の名前はマスジットで、南インドの端っこケララから北インドの端っこスッキムまで何ヶ月もかけて旅をしてきたらしいのだ
驚くべきが彼の旅のスタイル。旅先で写真を撮り、それを露店で売る、そこから得た金で旅を続ける。自給自足の旅のスタイルは正に俺が求めるところ、興味をそそられないはずがなかった。いつもなら適当に話して引き上げるところだが、彼そのものに興味が沸いてしまい、次から次へと就職の面接のように質問を浴びせていった
そして疑問に思ったことを全てストレートに聞いていった「ダージリンで見た写真は覚えてるけど、確か一枚500ルピーだったよね?確かにどれも素晴らしい写真だと思ったけど、一枚500ルピーは高いと思ったんだ。売れた?」「もちろんさ、全部売れたよ。高いと思うのはただの写真だと思ってるからさ。俺は写真を売ってるんじゃなくて、自分のハートを売っているんだよ」
「ハートか・・・俺も売れるハートを持ってるといいんだけど。それでどんな人が買ってくの?普通のインド人にはやっぱり高すぎると思うんだけど」「そうんだね。ダージリンでは高級ホテルがロビー用に大量に買ってくれたよ。もちろん大口だったから値段も半額にしたけど」
「じゃあお金もたくさん入ってきたわけだ」と俺がにやりと言ったら「そうでもない、いつもギリギリでやってるよ。俺は貧乏なんだよ」
「インド人は9割が貧乏でしょ。旅ができるだけ裕福な方だと思うけど」「そりゃそうだけど、やっぱり日本人とは違うよ」と言った彼の手元にあったのは日本のニコンのカメラ
俺も詳しくないから型見ても判断しかねるけど、彼が使っているカメラは5年位前の中級機
それを見て俺はあることを確かめるために急に彼の作品が見てみてみたくなった
「あの良かったらなんだけど、君の作品を見せてくれないかな」「構わないけど恥ずかしいな・・・」
「写真を売って歩いているならもう立派なプロじゃないか。プロが恥ずかしがる理由がどこにある?」「俺はプロなんかじゃないよ」と彼はうつむきなが恥ずかしそうに答える。俺が今まで関わったインド人の殆どが、根拠の無い自信家で大ボラ吹きだっただけに、彼の紳士かつ謙虚な態度はまるで真冬にかじるスイカのように青臭くもあり新鮮でもあった
彼は俺の頼みを了解して、部屋までアルバムをとりに戻り、数分後写真が100枚前後入りそうな分厚いアルバムを2冊持ってきてくれた
一枚一枚、まるでコレクターが自分の集めた切手を大事に眺めるように見ていった。やっぱりだ
何がいいのかなんてまるでわからないし説明もできない。でも、彼の作品はひきつけられる何かがある
俺がそう思っているだけではなく、それが事実なのだ。だから彼は未だに旅を続けてられるし、ここにいる
被写体自体は大したことない。とくに面白くも無いものが彼のフレームに入るとその被写体は魂をこめられた人形のように急に生き生きと躍動的に動き出し、今にも写真から飛び出してきそうになる
俺が気になった一つの白黒写真があった。被写体は老人がチャイを入れてるところで、写真は熱々の鍋を持ち上げ、茶漉しを使いながらチャイを注いでいるところに大量の湯気が出ているお馴染みの光景。ぼーっとみてるとあたかも目の前にチャイがあるようだった
俺が「この写真は味があっていいね」と月並みなコメントをすると彼は「この写真は自分が納得できるまで毎日撮り続けて一ヶ月かけて3000枚以上撮ったんだよ」
俺が驚いて二度聞きすると彼は「写真なんてそんなもんだよ」と一言添えた。俺が確かめたかった事は、作品にカメラの性能がどう影響するかという事だった
彼は時代遅れのカメラでも、腕と手間をかけることによってそれを補っているのだ。そしてそれを理解した上で「写真なんてそんなものだ」と一言だけ添えたのだ
俺は自分とは全然違う彼の生き方やキャラクターを気に入り、彼に一杯奢ってやりたくなった。そのまま酒を自分と彼に買ってやり、彼の部屋で2人で飲み直す事にした
今度は俺の写真を見たいと言うので、撮ったやつを彼に見せてやった
俺はいつも撮った写真で自分でいいと思ったものを選んでFBにアップして、それ以外は削除するかアルバムに保存してしまっている
彼に見せたのはそのアルバムとFBに載せてある写真両方なんだけど、彼が気に入ってくれた写真はアルバムにしまってあった没写真が殆どだった。俺には何がいいのかわからないし、ほとんどたまたま撮れた様な写真ばかりが彼の感性を刺激したらしい
写真はただフレームに収めるだけではなく、大量に撮った中からいい写真を選ぶのもまた技術なのかもしれないと思った
他にも彼からみて惜しい写真があるとアドバイスをくれるんだけど、必ず一言「これはただの俺の意見だから、気を悪くしないでくれよ」といちいち一眼初心者の俺に必要の無い気を使ってくれる
俺はそんな彼の写真を撮ってるところや、被写体の切り取り方を見てみたくなった。きっと得られる者があるのではないかと思った
0 件のコメント:
コメントを投稿