2013年11月23日土曜日

ダージリンでの素敵な出会いたち

ダージリンには前回の日記で少し触れたトイトレインと呼ばれる蒸気機関車が観光用として走っている。またの名をヒマラヤ鉄道とも言うらしい

俺がそのチケットを買おうと時刻表を眺めていたら、アジア人の若い女性が後ろから流暢な英語で話しかけてきた。

背は小さく線の細い体つきに眼鏡をかけたその女性もチケットを買おうとしてたので、地元の人間じゃないのは分かったが、着ている物や顔だけじゃ判断がつかない。それだけダージリンのインド人は日本人や中国人に顔が近いのだ

トイトレインは人気の観光資源で二日後じゃないとチケットが取れず、流れで同じチケットを買うことになった俺たち

彼女の名前はジェンで中国人。この日から暫くの間ダージリンでの相棒となった

なぜ俺に話しかけてきたかと言うと、俺が日本人に見えたからだという。というのも、昔ジェンがタイを旅しているとき、軍資金が底を尽き困っていたところ、日本人バックパッカーが宿代や食事代を全部払って助けてくれたらしい。それ以降日本人が好きになり、日本人宿にもよく泊まり、やはり行く先々で親切にしてもらい、印象はすこぶる良いと話してくれたが、そんな日本人ばかりじゃないとすぐに気づくであろう

彼女の生まれはチベットのすぐ近くで、チベタンと中国人のハーフ、これがまた中国では面倒くさいらしい。どういうことかと言うと、チベット人は中国人を受け入れず、中国人もまたチベット人を受け入れない。あくまで傾向の話だが

それ故自分の国では生活し難いし、中国人が嫌いとも話していた。そして日本人を羨ましがってもいた。

簡単にVISAカードを持て、水戸黄門の印籠の様な日本のパスポート、他民族同士の諍いも殆ど無い。中国のパスポートは色んな国で入国の際に問題となるらしい

外国人に指摘されて初めて自分の恵まれた環境に気づく。なんの努力も苦労もしないで、ただ日本と言う国で育っただけでこれだけの恩恵を受けることができる

上だけではなくたまには下も見てみる、そうする事によって気がつくことも意外に多いのかも知れない。気がついたところで何もできやしないし、何かやろうと思うほどできた人間でもないが、考えるくらいの事は出来るかもしれない。でも、考えたところで、何か意味あるのかな?

ジェンだけではない。前にベトナムを一緒に旅した中国人も他の人には中国人だという事を言わないでくれと言われた事がある。ベトナム人は中国人嫌いだから。そんな彼も中国人を良く言わない

俺が旅で知り合った中国人は、賢くて親切で、気のいい奴ばっかだけど、やはり彼らは口を揃えて中国の悪口を言う。同じ中国人なのに

中国人の悪い評判はあちこちで聞くが、評判どおりの中国人に会った事は一度もない。いや、分かっている。外国に出てこれるような中国人はそれなりに裕である事

裕福な家庭で育てば、教育もある程度は自分で選べるし、正しい歴史認識もできる。中国政府が必死になって国外からの情報を遮断しようとしているのは有名な話だ。フェイスブックのようなソーシャルサイトの制限もその一環であろう

時に自分自身でも不思議に思うこともある。殆どの中国人や某国が教育によって捻じ曲げられた歴史認識をしているのを見て、自分の歴史認識は果たして正しいのだろうかと?もしかしたらその他大勢の中国人と同じように自分も勘違いしているのではないかと最近思うことが多くなった

では正しい歴史はどうやって知ればいいのだろうか?世界を歩き回った所で一片の曇りもない真実に出会うことができないのは薄々気がついている

そんなあやふやで曖昧な歴史認識を一生懸命磨き上げてさも真実のようにして一体何がしたいのか?結局金と領土が欲しいだけだろう

少なくとも俺の友達の中国人たちは、無駄に領土を獲得しようとする中国の政策に嫌気がさしているらしい

俺にとってはこういう考え方を持った中国人の方が一般的になっている。それは中国に行くより先に海外で中国人に接触してるからかもしれない

特にジェンはすんでる所もチベットのすぐ近くで、村そのものがほとんどチベットの文化を受け継いでいる

それだけに彼女は敬虔な仏教徒だし、この旅もインドの仏陀の縁の地を周るのが第一の目的らしい。

ある日俺が寒くて旧型のプロペラ機のようにのろのろ飛んでいる蚊を叩き潰そうとした時に「ころしちゃ駄目」と注意された

頭に血が登ると普段英語で散々汚い言葉を吐いてる彼女の口から出た言葉とは思えなかった

「私の血なんていくらでもくれてやるわ」 「でも蚊は血を吸うだけじゃない、知ってると思うけど様々な厄介な病気を媒介するんだぜ」

「しっているわ、だから吸う時に血を分けてあげるから病気だけは持ち込まないでってお願いするの」「そんなんで本当に蚊が理解してくれると思ってるの?」

「さぁ わからないわ。でも私は今のところ一度もマラリアにはかかってないわ」「そんなんでかからなくて済むなら、俺だっていくらでも血を差し出すよ」

その言葉使いからはとても敬虔な仏仏教徒は思えないが、言っている内容は仏教徒そのものだ。このちぐはぐ感が彼女のキャラクターを独特なものにさせていて面白い



ダージリンでのも一つの出会い

それはトレッキングで

ダージリンではネパールとの国境沿いを3日から5日間かけてサンダークプルと言う3600Mの山を目指すトレッキングが流行っている

どこのツアー会社でもここのオーガナイズトレッキングを扱っていて一日辺り1500~2000ルピー。山小屋やガイド、交通費と食事込みの料金だが高い

いろいろ調べると、国境沿いを歩くため途中にチェックポイントがあってガイドを連れていないと通れないと言う情報と、いなくても問題ないと言う間逆な情報が入ってくる。どっちが真実かは未だにはっきりしない

安全面で言えば、道も分かり易いし、危険な箇所も無いので、地図さえあればガイドを連れて行くほどでもないらしいが、規則的にはあやふやなままだ

俺はガイドを連れて歩くのも嫌いだし、無駄なお金もかけたくなかったので、とりあえず食料だけ持って、必要の無い荷物は全部ジェンに預けて一人で登山口のある小さな町まで向うことにした

その道中で知り合ったのがアイルランド人女性のダーラ

彼女の場合はツアー会社に頼まず、自分でガイドと山小屋の予約を手配してここまで来たのだ

そこで彼女の提案がガイドをシェアして2人で登らないかという事だった

俺は三日で全行程を消化して下りて来ようと思っていて、途中までのピストンで一泊二日の彼女の行程とは予定が合わなかったが、ガイドがいないために途中で追い返される可能性も拭いきれなかったので、彼女の提案をのむ事にした

それから先のことは山頂についてからまた考えればいいと思ったし





太陽に手を伸ばすように枝をはった広葉樹林の隙間から漏れ出してくる木漏れ日を通り過ぎながら高度を上げていく

この日は約14キロ、1000Mくらいの高度を上げる程度の軽いトレッキングの筈なんだけど、どうも歩きにくい。それもそのはず、俺はトレッキングシューズをマレーシアのキナバルを登った後重くて捨ててしまったのだ。だからそれ以降はペラペラなランニングシューズでトレッキングを続ける羽目になったのだ

基本的には問題ないが、靴底がつるつるなためしょっちゅう滑るし、長時間歩くと足首が痛くなってくる。その点トレッキングシューズは良く考えて作られているもんだ。なんせ俺のランニングシューズは2000円なんだから。舗装道路を走るには最高の相棒なんだが


ダーラはダーラで既に51歳。心臓にも問題を抱えてるらしくあまり激しい運動はできない。高度を上げると酸素も薄くなるし、最初の急坂は彼女の心臓を苦しめたようで、5分歩いては休憩の繰り返しを余儀なくされた

俺はなんの予定もなしに山に入ったので、遅い分には一向に構わないのだが、ガイドがイラつきだす

丁度この日はインド全体で大きな祝い事ドゥワリの時期で、俺たちを山頂まで連れて行った後、その日中に急いで下山して、家族と祝いたいらしいのだ

気持ちは分かるがこれが彼の仕事なのだ。そこを急かすのはお門違いと言うものである。だからガイドを連れて行くのは嫌い

俺もダーラにはゆっくり歩くよう指示した。俺たちは急ぐ必要ないのだから

景色だってこんなにいいんだし









道中には小さなカフェやミニ売店、村などがあり、日本の登山とは大分違う。食料もいちいち持ってくる必要なかった

結局俺たちがその日の目的地、サンダークプル手前の山頂付近に着いたのは予定より3時間遅れてのことだった。ガイドも村に帰ることは諦め、一泊してから帰ることにしたようだ。だからと言って不貞腐れたり、文句を言ってきたりはしなかった。基本的に人はいいのかもしれない。そう思うとなんだか可哀想にもなってくる

予約をしていなかった俺は山小屋が空いているか不安だったが、それも杞憂に終わった

山頂の村には二つの宿泊施設があって、ダーラが予約してあった山小屋は少し高かったので、そのもう少し上にある宿に決めた。一泊200ルピー。ネパール人家族経営のこの宿は宿泊客は俺しかいなかった。そしてここはネパール側なんだと教えてくれた

このトレッキングロードはネパールに入ったりインドに戻ったりを繰り返しているのだとか。だからここら辺の村人は全員ネパール国籍


夜は食べ物を持ってきていたので、山小屋で食事をする必要も無かったが、一人で食事するのも面白くないので、ダーラの泊まっている小屋の食堂で食べることにした

そこには他にも数組の白人トレッカーがいた。その中の一組が俺が日本人だと知ると「村上知ってるでしょう」と言ってくるが「?村上?誰?日本にはそういう名前の人がたくさんいるんだよ」

「村上だよ、作家の」作家と言っても、村上春樹と村上龍がいる。でも海外で有名なのは明らかに村上春樹の方だ

「村上春樹?」「そうそう村上春樹だよ。彼の本はハンガリーでも人気で、私達も大ファンなんだよ」と、ハンガリー人の老夫婦は声を揃えて嬉しそうに言う

「何を読んだの?」「全部だよ、ハンガリーで売ってる彼の本は全部読んだよ」

「凄い!!俺だって半分くらいしか読んでないのに。どの作品が一番好き?」「選べないよ、どれもそれぞれ個性があって何回も読み直してる」

実は俺も村上春樹の大ファンで話は大いに盛り上がった。まさか白人と村上春樹について語り合う日が来るとは思いもよらなかった。ちなみにダーラは知らないと

他にもお互いの国の文化の話をビールのつまみに暖炉を皆で囲み夜もふけっていった

次の日先に進むか、ダーラと一緒に戻るか決めないといけなった

結局俺はダーラと戻る事にした。久しぶりのトレッキングで筋肉痛や疲れはないものの、なんとなく満足してしまっていた。それにダーラと話しているのも凄く面白い

彼女の口癖はアメージングとファンタスティック!!なんでも文句を垂れる前にそれを楽しむ努力を怠らない。彼女のそのなんでも前向きに捉える姿勢を尊敬していた。俺も年取ったらこんな人になりたいと

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