2013年10月29日火曜日

列車トラブル系?


読書をしながら電車に揺られる。実に優雅だ。例えSL車両であっても満席じゃなければ実に快適な旅が約束される

葉加瀬たろうのバイオリンを聴きながらインドの車窓に浸る。目をつぶると田園風景がまぶたの裏に浮かび上がり音符が踊りだし、目を開けると眼球の表面に本物の田園の風景が飛び込んでくる

開けても閉じても田園風景。まるでポルノ映画を見ながらエロ本を読んでいるようじゃないか!! す て き

爽やかリッチパッカーインドの車窓を行く、こんなタイトルがしっくりくる

今までのインドの旅は偽者だ、思い出したくも無い。あれは無かった事にしよう。これからは優雅に爽やかに、今までの記憶は消してしまおう。日記も消してしまおう。

たまに通路を通る売り子からチャイを5ルピーで買い、窓の外を眺めながら目をつぶる。日本を出てからの事、日本にいたときの事。そんな事を思い出してみるのもいい

「さー さー」 ん? なんだ?人様が感傷に浸っているのを邪魔するやつは

「さーチケット」 車掌か。。。。インドの列車は駅に入るときに改札が無い代わりに、電車に乗ると車掌がこのように一人一人のチケットを確認してまわっているのだ

「さあ これが爽やかリッチパッカーの爽やかチケットだ、穴が開くまでじっくりと見て行きやがれ」

車掌は俺のチケットを取り上げて確認したかと思うと一言「ふん」と、鼻で笑い飛ばして、俺にチケットを返した

「あああ ああああ お前今鼻で俺のチケット笑ったなああ?? お前知ってるか?日本では鼻で笑い飛ばすってことはだな、相手をバカにしてるってことなんだぞ!!」っていうか、そこはインドでも同じである

車掌「irtuvnidndvunisc;msvoi,jctocs,s;opitbn;oavs;to」 うん、全力ヒンディー語だな、これ。「あの俺英語と日本語とタガロフ語しか解らないんだけど」

車掌「aldkfjer;oifuvrdoiguvmsdo bnjdfo;lgivjmrd;ogivjd,;vogkf,;gkld;lbnjvrso;vimrjyoirjmc;osidjvfmklsicu;as」・・・・・

駄目だこりゃ、さっぱりわからん。でも俺の乗っている電車が間違っているってことだけはわかった。「ありがとう、教えてくれて」と、言うと、車掌は満足そうに頷いて去っていった

「・・・・・って、ちょっと待たんか!!こらぁぁぁぁぁぁ!!」間違ってたら普通今いる場所とか、何処で降りたらいいかとか、今何処へ向っているとか、助言するでしょうが!!普通

鼻で笑って宣告だけしてそのままいくって、お前は死神か!!

とにかく車掌にどうしたらいいか聞くのだが、お互い意思の疎通が取れなくてどうにもならない。電車の車掌が全く英語喋れないって始めて。しかも、デリーバラナシを通っている路線は外国人も頻繁に利用するのだから普通喋れて当たり前である。これが田舎ならヒンディー語を喋れない自分がを呪うところだが

気は全く利かないが人のいい車掌は英語のちょっと喋れるインド人を連れてきてくれた

早速質問してみた「あの、今どこに向っているんですか?」インド人「お前の電車は間違っている」

「あの それはわかっているんですけど、何処で降りたらいいんですか?」「お前のチケットは間違っている」

「いや、だからそれはわかっているんですよ、現在地を知りたいんですよ」「お前のチケットと電車は間違っている」

「いや、それはさっき車掌に教えてもらったし。俺が知りたいのはこれからどうするべきかなんですよ」「お前は全て間違っている」

「じゃかしいわーーーーー!!ボケ!!んなことはわかっとるわーーー!!昨日生まれたんじゃねぇんだよ!!」と、心の中で叫んだ

どうやらこのインド人、英語は少しだけ喋れるみたいだけど、聞く事ができないらしい

こんなやり取りを繰り返していると、いつの間にか俺の席の周りに7人くらいのインド人が集まってきて、なにやらあーでもない、こーでもないと相談している

そして結果的にその内の何人かが次の駅で降りるから、ついて来いと言ってるとこまでは分かった。疑っている場合でもないので素直に従うことにした

次の駅で下車後、俺の乗るべき電車の名前と車両番号を書いた紙を渡して彼らはそれぞれの家へと帰って行った。なんだ、それだけかと思うかもしれないけど、インドではこの列車の番号が全てなのだ。これさえ合っていれば全てうまく行くのだ

俺が降りた駅はプラットフォームが4つしかない小さな駅で、電光掲示板などもない。書いてもらった電車がいつ来るのかも分からないが、とりあえず駅の隅に時刻表だけはあったので確認するも、全てヒンディー語で書かれているためよくわからに

時刻表の前で首を傾げてると、若いインド人の2人組みが、どうしたんだと声を掛けてきたので、列車番号の書いてある紙を見せたら二人でなにやら相談を始めた、するとまたその辺のインド人が集まって来て10人位に囲まれた

皆で数分相談したかと思うと、皆一斉に顔をあげ、何か言いながら俺の方を見た。どうやら裁決は下ったようだ

「よし、わかったんだな?さあ教えてくれ、何番プラットフォームだ?」

すると全員手を上に上げ、人差し指を使ったかと思うと、それぞれ別々のプラットフォームを指差した「こらぁぁぁぁ 真面目にやれ!!」

この指止まれゲームしてんじゃねぇんだよ!!あっ、じゃあ俺その3番目の指に止まる~とーまった えい!! 「こらぁぁぁぁぁ 真面目にやれ!!俺」

いやいや、怒っちゃいけない、こいつらに悪気はないんだ。みんな俺のために相談した結果、こうなったのだ。でもこれじゃ何処言ったらいいかわからん

しかも違うプラットフォーム指したインド人同士で喧嘩(激しい口論)が始った。面倒くさいので放置して、その場をそっと去った

とに角イングリッシュスピーカーが必要だ。俺は喧嘩してるインド人を背に、身なりの良いインド人を探した

かっぷくが良く、アイロンのかけられた綺麗なシャツを纏い、皮のベルトに締められたピンと張りのあるズボン、ホームの景色が写りこむほどにピカピカに磨きあがられた革靴。そして決め手となったのが、尖がった眼鏡だ

間違いない!!金持ちで育ちがいい。育ちの良いリッチパッカーの感である。尖がった眼鏡は金持ちの証なのだ!!誰がなんと言おうと、例えウルトラマンがかめはめ波を打とうが、ここだけは譲れない

早速丁寧な英語で話しかけてみるとビンゴ!!英語がペラペラである。しかも電車の番号を見せると、ちょっとここで待っていなさいと言って消え、5分後に戻って来たかと思うと、同じ電車だから一緒に乗ろうと言ってくれた

電車はその1時間後にホームに到着。乗るだんになって、「ところで君切符はあるのか?」俺「へ?」

「電車に乗るんだから切符が必要だ」。。。そりゃそうだ うん 。。。。って、もっと早く言えーーーーーー!!やっぱそこはインド人である

結局時間も無かったので、切符の無いまま電車に乗り込む羽目になった。何とかなるだろうと思って

更にこのインド人、途中のバラナシで降りるらしく(俺は一回バラナシに戻らないといけないらしい)、俺と一緒にガヤ駅まで行ってくれる人を探してくれたのだ

そして彼が見つけたのがまだ学生のインド人。英語もある程度喋れる。そして、なんと俺の分のチケットも持っているのだ

どういうことかというと、途中の駅で友達と合流する約束らしく、その前に切符のチェックが入るので、その友達のチケットを使って俺のチェックをパスしてしまおうと言う事である

そんな上手く行くのか怪しいが、彼に任せることにした

彼の名前はAといい、コルカタの近くに住んでいるらしい。性格は凄くシャイで、俺がそっぽを向いてる時に、勝手にツーショット写真を撮ったりするくらいである。言ってくれればいくらでも応じるのに。

そして同じSL席のコンパートメントに座っていたのが、ちょっとガラの悪いインド人の3人組

いつもなら話しかけられても、言葉がわからないので、無視するか笑うくらいしかできないんだけど、Aが通訳してくれるので結構面白い

しかもそのうちの一人がこっそりウイスキーのボトルを取り出して飲み始めた。飲み方を見ているかぎり、ここでの飲酒は禁止されているようだ

そしてコップいっぱい並々と注がれたウイスキーが、大海原で波打つ潮のようにたっぷんたっぷんとウェーブしなが俺の方に周ってきた。飲めと。

ありがたく一気飲みにさせて頂いた。そうすると友達の一人が「これは200ルピーするから、お前払わないと駄目だぞ」と、笑いながら俺に言う

なんだ、タダじゃないのかと思ったが、結局それ以降一回も請求されなかった

どうやら冗談だったみたいだけど、インド人のこう言う冗談が理解できない。本気なのか、冗談なのか。ジェスチャーも他の国と正反対だったりする文化を持っているだけに、言葉が通じないと本当に意志の疎通が難しい

ガラは悪いが、俺と話したがる。でもAはシャイで中々会話に加われず、通訳に専念する

そんなやり取りを数時間も続けていると、終に切符のチャックをしに車掌がやってきた

Aが車掌にチケットを見せると、車掌が眉をひそめ急に怒り出し、Aとの口論が始った

俺が事情を聞くもノープロブレムしか言わない。こんだけ車掌が怒鳴っているのにノープロブレムな筈がない。きっとアレだろう、俺のチケットが問題なんだろう

あーー2人とも、私のために争うのは辞めて~

その口論に例のガラの悪いインド人達も加わり、5人でいい合いが始まった。しかし、ものの5分で事態は収束、なぜか車掌と学生は握手

車掌は俺に切符を見せろといってくる。しかし、俺が持っているのは間違った切符。他の4人はいいからそれを見せろ言ってくる

結局交渉は失敗に終わったのだろうか?まぁどうせ間違った自分が悪いんだし、切符は新たに買いなおす予定だったので構わないけど

切符を車掌に見せるとまた「ふん 間違ってるぞ」と、ぼそっと笑ってそのまま言ってしまった。またか。。。こいつらは。。。

しかし、結局最後まで新しい車両の切符代を請求されることもなく、間違ったチケットのままガヤ駅で降りることができた




そもそも今回電車を載り間違えたのも、俺の寝坊と勘違いが原因だったのだ

インドで電車を間違って数時間のロスですむなんて正に奇跡である。インドは日本と違って、長距離電車は場所によっては一週間に一便しかないとか珍しくないのだ

ガヤ行きの路線はそんな事はないけど、それでも一日に2便程度しかないし、チケットも数日前に予約するのが定石だ

こうやってここにいられるのも、うざいくらいに親切で人懐っこいインド人のお陰である

とくに最後に世話になったAとは未だに連絡を取り合ってる。コルカタを訪れたときはまた会おうって

一日が無駄に終わってしまったが、いい友達もできたし、酒もただで飲めたし、俺は満足である

俺が間違った所から、まるでバトンをまわす様に、インド人からインド人へと、親切のバトンは俺をガヤまで送り届けてくれた

さあ、上手い事も言ったし、そろそろお暇させていただきます

2013年10月24日木曜日

価値観人それぞれ バラナシを理解できない俺

「へい お兄さん 葉っぱ安いね マリファナ ハシシ 安いよ グッドね」「・・・・・いらない」

「ホント ホント 試してみて お金その後でいいから」「俺マリファナ嫌い」

「OK OK ワインあるよビールもウイスキーもあるよ なにいい?」「酒も嫌い」

「おーーあなたナチュラル好きね、ナチュラルパーソンね~じゃあジキジキ(SEX) へへへへへ好きでしょ? いい子紹介するよ」「そういう気分じゃない」

「おおーーそれ良くないね 安いから大丈夫よ 試してみて」「だから何もいらないって」っていかどうやって試すんだよ!

「おおーあなた何も必要ない?楽しみない あなたの人生何も無いね」「うっさいわ!!お前にそんな事言われたくねーーわボケ ボケ ボケ どっかいけ!!」

「OKOK どっか行くね」と言って去っていった

 バラナシに着いてから電車の中で知り合った香港人女子のココとエストニア人でリキシャをシェアして街の中心地まで来たんだけど、エストニア人のペースが遅すぎて放置、香港人と2人で宿を探すも、今度はコミッションボーイが金魚の糞のように後を着いてくる

コミッションボーイとは、宿をツーリストに紹介して宿からコミッションを受け取るのを生業としている連中で、こいつらの紹介で宿に入ると普通の価格より少し高くなるのだ

全く地理が無ければこいつらに頼るのも一つの手だが、バラナシは有名な観光地だし、安宿はいくらでもある、はっきり言って必要ないが一応奴の紹介するホテルも2つほどチェックしてみた

やはりコミッション料が含まれてるせいか、クオリティーの割には割高。もう案内は必要ないことを告げ歩き出したが後ろから着いてくる

「へい他のホテルもあるよ 200ルピー 100ルピー どこがいい 近くに知り合いのホテルあるから紹介するよ」 ・・・

とりあえず鬱陶しいけど害はないので無視して自分達でホテルを探す

しかし、どこもちょっと割高

ホテルで値段を聞くときは必ずコミッションボーイも一緒にホテルに入ってくる。一番おかしいと思ったのがガイドブックに載っているホテルで値段を聞いたところ、ガイドブックに記載されている値段の2倍の料金を言われたときだ

昔に比べると物価は少し上がってるらしいから、ある程度高いのは覚悟してたけど2倍はおかしい・・・

そしてようやく気がついた

この後ろにいる金魚の糞のせいで高くなっているんだってことに

実際に紹介してもらってコミッション取られるのはまだしょうがない気もするが、ただ後ろから着いてきて、いかにも紹介しましたみたいな顔しておこぼれを頂戴しようというこの根性が気に入らない。追い払わねば

「へい さっき言ったよな?もう必要ないって。着いてこないでもらえるか?俺たち自分で探せるから」「でも俺がいたほうが何かと便利だから、俺の事は気にするなよ」

「そうは思わない、とにかく必要ないからついてこないで下さい」と、丁寧にお断りをして歩き出した

しかし、やはり後ろをついて来る・・・・「なんでついて来るの?聴こえなかった?つ・い・て・く・る・な」

「わかったよ、どこへでも行っちまいな じゃあな!!」といいながらついて来る・・・・うざい

俺が振り返って睨むと「たまたま行き先が同じなんだ気にするなよ」・・・これはきっちりと追い払わねばなるまい

メインロードから何回か曲がり角を曲がり、人気の無い道にどんどん入っていく。バラナシの中心街は一本メインロードから外れると、そこはもう道というよりは、建物と建物の隙間が道の役割をしている程度のもので、ほぼ迷路。入り込めば人気の無い場所なんていくらでもあるのだ

人気がなくなってもまだついて来るので、そのまま引き返し男の顎の下辺りを掴んで壁に軽く叩きつけ、軽く左拳でボディーブローを入れた

男はそのまま腹を抑えてうずくまったので、髪の毛を掴んで顔を上げさせ「ついて来たら次は首の骨へし折るぞ。わかったな?ついて来るなよ」「わかったから、手を離してくれ」と、かすれた声で懇願してきた

手を離してやり、俺たちはそのままその場を離れた。もう奴が後をついて来ることは無かった。これで日本人は大人しいってイメージも少しは変わるだろう。俺は全ての日本人旅行者を代表してやったのだ。非難してくれるなよ うん

結局うざいコミッションボーイのせいで目星をつけていたホテルは全ておじゃんになってしまったので、あとはバラナシ2回目のココに任せることにした

彼女が以前泊まってた宿が綺麗で安いので、とりあえずチェック。しかし、営業していなかった・・・

そしてその隣にあったのがあの悪名高いクミコゲストハウス。悪名高いとはバラナシで一番汚いという意味で、ホテルが悪質という意味じゃない

一応チェックしてみると、クミコさんの日本語ペラペラな息子が対応してくれて、感じもいいし、部屋も意外に汚くなく、それでいてシングル150ルピーと安かったのでチェックインする事にした

夕方になるとガンジス川のガートでプジョーが毎日開催されているので、ココと見に行った


そこで彼女が友達のインド人を呼んで3人で食事をしに行ったんだけど、友達のインド人がココにベタベタし始めた。一応嫌がるそぶりを見せるんだけど、まんざらでもない様子。むしろインド人の方が本気じゃないように見える・・・・

次の日2人で朝日を見に行く約束をしてたんだけど、見事にすっぽかされていた・・・申し訳ないがどう見ても遊ばれてるようにしか見えない・・・

他にもココはインド人に5000ルピー貸したんだけど、期日になったら連絡が取れなくなったと凹んでいた。。。。 なんか心が痛くなって来た

頑張れココ


バラナシには全部で100近いガートがあるんだけど、その中でも有名なのが上の写真にあるメインガートの一つ、名前は忘れたけどここで毎日プジャが開催されている

そしてもう一つ有名なのが火葬場があるマルカニーカガート

ここでは毎日人を火葬して、燃えカスを船に乗せてガンジス川の中程に流している。誰でも見学は自由にできるらしく、どのガイドブックにも一番の見所として載っているのだ

人が燃やされる所なんて全く興味が無かったけど、やる事がないというよりは、宿を一歩出ると迷路のように入り組んだ道のせいで、方向音痴の俺としては気軽に出歩けなくて、一番有名なマルカニーカガートだけ見に行く事にしたのだ

相変わらず入り組んだ迷路を人に道を尋ねること30回、ようやくガートに到着すると、自称ファイヤーマン(消防士ではない)と名乗る男が俺に近づいてきた

「やあ 調子はどうだい?火葬場が見たくてここに来たんだろう?俺が案内しよう」、もちろん最後に金を請求してくるのはわかっていたので、断る

すると「ここは俺たちファミリーでやっているんだ、勝手に動き回られちゃ迷惑なんだ、俺が案内してやるからこっちに来い」「いやガイドは必要ないし、あんたに払う金は持ち合わせてないよ」

すると男は急に態度を変え「ここはツーリストのためにあるんじゃないんだ、周りを見てみろ、ツーリストなんて何処にもいないだろ?お前らが遊び半分で来るところじゃないんだよ、寄付する気がないならとっとと帰れ」「そんなのお前に関係ないだろ?俺がどこにいようと、ほっといてくれよ」

「さっき言っただろ?おれたちはファミリーなんだ、周りを見てみろ、ココにいるのは皆ファミリーだ、お前は部外者なんだよ!わかったらとっとと帰れ」と、言って俺の背中を押してきたので

「俺に気安くさわんじゃねー!!」と、男の胸ぐらを掴み、顔に右ストレートをお見舞いしてやり、そのままガンジス川に沈めてやった、って事を頭の中でリアルに想像して、その場は大人しく男に従い火葬場を離れた

さすがに前日インド人に鉄拳制裁を加えてるだけに暫く暴力沙汰は御免こうむりたかったし、実際ここで暴れたら火葬場にいるインド人が全員敵になるような気がしたので、大人しく尻尾巻いて帰るしかなかった

後で聞いた話だが、やはり火葬場はタダで見学できるらしい。でも俺の場合話しかけてきた男は本当に火葬場で働いてるファイヤーマンだったし、それを無理やり押しのけて中に入るのは不可能に近い。金払うか諦めるかの2択しかなかった。金払ってまで人が燃やされてるところなんて見たくないし、無駄足になったけど、暇つぶしにはなったからよしとするしかないな

バラナシはヒンドゥー教最大の聖地と言われていて、外国人観光客だけじゃなく、インド人の観光客や信者も頻繁に足を運ぶ、インドを旅する上では絶対に外せない場所とまで言われている街なのだ

居心地が良くて数ヶ月滞在する日本人も多く、街中では日本人を頻繁に目にするし、中途半端な日本語を話す行商人もたくさんいる

でも俺にとっては無価値

嫌いと言うわけじゃないけど、特別に何かを感じる事もない

そもそも宗教が好きじゃない。宗教的な建築物や歴史は好きだけど、宗教そのものはむしろ嫌いだ。だからこの街がどんなにインド人にとって特別か、聖地か、と言われても何かを感じ取る感性が働かなかった

滞在中は日本人宿に泊まっていたけど、主にココと中国人グループと行動することが多かった

日本人との交流はラジャスターン地区やリシュケシでたっぷりしたので十分である。なにより、インドに入ってからリシュケシュを出るまでの一ヶ月半、英語を殆ど使ってなかったせいか、たまに話すともの凄い衰えを感じていた

短期間で身につけたものは衰えるのも早い。日本人との交流は言葉の壁が無くて楽だし、楽しいからつい甘えてしまうけど、今後の為にも少し控える必要がありそうだ

英語喋れないで旅してても面白くないし


2013年10月21日月曜日

騙す人 騙される人

「この町は歩くことが禁止されている」・・・俺「はい??」

俺は一瞬理解できなかった。そして隣に座っていたオッサンが屁をこいたんだけど、実は実弾が装填されていたというくらいの衝撃を受けた

二足通常歩行とは人類のみに許された、いわば人が人らしくあるための姿であり、人が通常の生活を健やかに送るのに一番必要とされている移動方法かつ運動である。そう、猿が二足で歩き始めた瞬間からホモサピエンスの歴史が始ったのだ

それがどうだろうか?この町は歩くことが禁止されているだって??何たることだろうか!!

この町は俺に人間辞めろって言ってるのか!!!

こんなエロい石造だらけなのに???

 エロはいいのに歩くの駄目なの??

「だから歩くことが禁止されているんだ、さあ俺のリキシャに乗れ」「俺は日本の某教団で空中浮遊の技を身に付けているから大丈夫だ」

「嘘をつくなお前」「お前こそ嘘つくな!!ボケ!!そこら辺インド人が歩きまくってるだろ!!ほら お前も今歩いた あ!!お前も歩いた」

「インド人はいいんだ、外国人が禁止されているんだ」「じゃあお手てとあんよではいはいしてきまちゅからリキシャは結構でしゅ」って余計時間掛かるわ!!ボケ!!っていうか間に受けるな!!俺!!!



「へい さー 歩くのは違反だぞー」「うっさいわ!!お前本当に歩けなくしてやろうか?右と左の靴紐かた結びしたろか??ああぁ??」


カジュラホのバス停に着いて、いつものごとくリキシャがよって来たので歩くと言って断ったら、こんな状況になったのである

普通は宿までは10キロあるから歩ける距離じゃないとか、強盗が出るとか、AKBのサイン会やっているから道が封鎖されているとか、最近ティラノサウルスが出現して大変危険とかもうちょっとマシな嘘つくもんだけど、こいつらは歩行が禁止と言い切った

久しぶりにリキシャまともに相手して疲れたわ!!!

カジュラホの町はエロ石造を祀ってる寺院が町を囲むように点在していて、その中でも東にかたまっている遺跡群は一応世界遺産に登録されているらしいのだ

それ故カジュラホは外国人特に日本人に人気の観光地らしい。しかし、俺が訪れた時期は丁度シーズンオフで日本人どころか白人ツーリストでさえほとんど見かけることは無かった


ホテルはうざいコミッションボーイを振り払って、250ルピー(380円)の宿をとった。少し高いけど、やっぱ広い部屋がよかったし、この部屋じゃないとWIFIが部屋まで届かないので妥協した

ホテルの泊り客はインド人が殆どで、他に韓国人と日本人が3人もいた

一人は日本語を教えに来ているという初老の男性で、カジュラホはこれで10回目今回の滞在は既に3ヶ月を経過しているのだとか

そして他の2人は大学の休みを利用してインドに来ている学生、いかにも頼り無さそうというか、俺がインド人なら間違いなく「ここは歩行が禁止されている」と嘘をついて無理やりリキシャに乗せてるところだ

そしてこの2人の話がとってもおもしろい

なんでもデリーに深夜に到着しタクシーを空港でつかまえたら、深夜のデリーをあちこち連れまわされた挙句、予約していたホテルには到着できず、タクシー運転手指定のホテルに無理やり宿泊させられたのだとか。予約していたホテルもアゴダを通して2泊予約してたので、2泊分の宿泊費が無駄になったのだとか・・・

その上、次の日は例のニューデリー駅で客引きに捕まり、有名なツアー会社の偽会社に連れていかれ、一人7万円のツアーを組まされたらしい

組まされたと書いたが、実際は本人達は相場を知らなかったとはいえ、一応自分で内容に納得して契約したらしい

内容はラジャスターン地区をジョードプルまで行って、そこからアーグラーに戻り、カジュラホをえてバラナシに行くというもの

ツアー料金に含まれるのは、ラジャスターン地区のタクシー代とホテル代、それ以降は電車で移動で、アグラーからバラナシまでの電車代のみ

これが高いかどうかはこれだけの材料では判断できない。ラジャスターン地区の移動は全てチャーターしたタクシーでどこでも連れて行ってもらったらしいし、ホテルも結構よかったとの話だったから

ちなみにラジャスターン地区をホテル代込みで電車を使っていって帰ってくるだけなら、多分5000円もあれば十分なんじゃないかな

でも彼らとしてはやはり騙された気分は拭えないらしい。途中であった旅行者にインドの相場を教えてもらい後悔していると言っていた

しかし、もし彼らが自分達でラジャスターン地区の旅程を自分達でアレンジしていたら、行く先々で騙されまくってもっとひどい目にあっていたんじゃないかと思わずにはいられない・・・

一応チャーターのタクシードライバーがガイドも兼ねていたので、ラジャスターン地区にいる時は、うざいインド人の攻撃を一切うけなかったらしいのだ。だから彼らは無事俺の目の前で笑顔でいられるんじゃないかな

この日も前日町中で話しかけてきたインド人と仲良くなって飲みに行って、 次の日町から20キロ離れた滝まで一緒に行く事になっているんですけど一緒にいきませんか?と、誘われたが、丁寧に断っておいた

滝に行く途中にそのインド人の家があって、そこでちょっと遊んでから滝に行く計画だと話してくれた

老婆心からか、一応忠告はしておいたが、大丈夫だと思います~との事だった

その日の夜に彼らの電車がバラナシへ向う予定だったのだが、彼らの姿をカジュラホを発つまでに見ることは無かった

俺 しーーらない!!

2013年10月19日土曜日

インドの地方都市にて

月ももうすぐ満ちるかという頃にようやくリシュケシュを出た

よくよく考えてみると、今回インドで電車に一人で乗るのは初めて。一人で乗れるかな~と、幾ばくかの不安もあったが以外に簡単。日本で地下鉄乗るほうがよっぽど難しい






駅のロビーにて

列車待ちなのか、ここに住んでいるのかはわからないけど、相変わらずそこら変で寝ているインド人











今回は普通のSL席だったけど、無賃乗車や変なインド人がいなくて快適

列車が翌朝ラックノウに時間通り到着、いつも通りうざいリキシャを追い払って歩き始める

地方都市で辛いのはリーズナブルなホテルが無い事

北インドの観光地は、シーズン外は何処もホテルが飽和状態で値下げ合戦を繰り返し値崩れ状態。しかし、ラックノウは観光地ではないので、安いホテルも無ければWIFIも皆無。結局300ルピーで小汚くて狭くてWFIFI無しのホテルに泊まるざるをえなかった

そしてもう一つ辛かったのが英語が通じない。俺のホテルでは喋れる従業員が一人しかいなく、しかも常駐ではないので情報収集が難しい。故にこの町の移動はサイクルリキシャに頼らざるを得なかった



これね

日本の力車を自転車でひっぱるイメージ?










このサイクルリキシャも英語が全く通じないので、何処行くにも英語の喋れるインド人を探して、お願いして変わりに交渉してもらう。まあ、こういうの考えるとやっぱ一般のインド人は親切なんだろうな。この旅で大分助けてもらってるし

この街のリキシャはどういう訳か必ず到着時に約束の料金以上を請求してくる。俺が約束の金を渡そうとすると受け取らずにもっとよこせとジェスチャーをするのである。そんな時皆はどうしてるか知らないけど、俺はそのまま金を放り投げて無視して歩き出す。後ろからなんかごにょごにゅ言ってるけど、それ以上のトラブルになった事はない

ただ、一回だけ払わざるを得なかった時があった

俺がこの町の観光資源レジデンシーに向ったときの事。最初の約束で20ルピーと言う約束だったが、どうもリキシャのオヤジが場所を勘違いしてたらしく、近くの公園に連れて行かれた

オヤジはレジデンシーを知らなかったらしく、通行人に場所を尋ね、再びリキシャに戻ると俺になんかヒンドゥー語でごにゃごにゃ言って再びチャリをこぎ始めたが何を言ってるかわからない。多分もっと金がかかると言ってたんだろうけど、そんな事は知らん

チャリをこぐ事20分後にようやく目的地に到着。20ルピーを渡すと安の状足りないと言ってくる。確かにやたら遠いし20ルピーでは安いと思ったが、勘違いする方が悪いので無視

するとオヤジが黒い服を纏ってチャイを飲んでいたインド人に泣き付いた

するとそのインド人があと10ルピーだけ払ってあげなさいと言うではないか

しかもこの黒い服、よく見ると法服・・・目の前には高等裁判所があり入り口には取材陣が大量に陣取っている

他にも法服を着たインド人がちらほらと高等裁判所の前を歩いている・・

この人裁判官??

「ほら たったの10ルピーだけだから 払ってあげなさい」・・・・え?これ裁判??

裁判官の命令??元法律に携わる仕事をしていた者としては、本能的に裁判官の命令には逆らえない・・・・やむなく払ったのでした

判決 主文「被告人は原告人に10ルピー払え」 理由 省略 ・・・・



ラックノウはムスリム寄りの街で、いくつかの歴史的なモスクがある

入場料はいくつかのモスクのジョイントチケットで500ルピー、インド人は15ルピーとふざけた価格

もう名前も忘れたけど一番最初にでっかいモスクに行くと、それはそれは外国人が珍しいらしくいつものごとく激しい写真攻撃をうける。芸能人の気持ちがわかる

とくに学生の集団が来てて、屋上であっという間に囲まれる

彼らはこの街一番の学校の生徒らしく、皆英語がペラペラ

ヒンドゥー語を喋れるかと聞かれたので、タンタンゴーパール(一文無し)といったら、14歳の学生が俺に10ルピーを恵んでくれた

その後もどんどん俺を囲む学生が増えて来た所で引率の先生が一喝して生徒達を蹴散らし、俺に謝って行ったが、先生がいなくなるとまた寄ってくる学生達。おかげさまで退屈しない

次の目的地に向う時も歩いていると、バイクに3人乗った制服姿の学生がこっちをみて笑っているので、ちょっと後ろ乗せてよって冗談で言ったら、前に無理やり詰めて席を空けてくれた

これは乗らないと失礼だろう。バイクの4人乗りなんて学生の時以来。俺を乗せたバイクはのろのろと近くの公園まで走っていった。俺が行きたいところには後でという約束で

夜に飲みに行く約束をして、彼らは俺を目的地まで送ってくれた

しかし、彼らは約束の場所には姿を現さなかった。俺が40分遅れたせいだろうか?WIFIも携帯も無しで、知らない土地での待ち合わせはきつい

インドに来て以来、完全に一人になったのは初めてだけど、いろんなインド人が相手にしてくれるので退屈しないですむ

久しぶりのビールとラックノウ名物のビリヤニ


ラックノウでは他にケバブなどが有名で、食の街としてロンリープラネットには紹介されている。しかし、俺の滞在中一回も外国人ツーリストの姿を見ることは無かった


 銃弾や砲撃の後が生々しいラックノウレジデンシー


驚くべき利率の高さ。貸す方もリスクが高い事が推察できる

この後、エグいバスでジャンシーをえてカジュラホーに向う

2013年10月17日木曜日

なんでもオーダーメイド

現在物の流通はメーカから工場、卸売りを得て小売店に並ぶのが普通だが、インドではまだ直売の服飾店が数多く残っている

リシュケシュでも店頭にミシンを並べて自主制作のオリジナルの服や小物を扱う店が数多く存在する。もちろんそれらの店でオーダーする事もできる。

そこで俺も最近サブバックとして使っていたリュックの変わりに、バッグをオーダーメイドで製作してもらう事にしたのだ

まず最初にしないといけない事は生地選び


 こんな生地を数多く取り揃えたクロス専門店があるので、自分好みの生地を選ぶ

俺が選んだ生地は3メートルちょっとで400ルピー(600円くらい)

嘘か真かあきらかではないが、日本で買うと数千円はするのだとか?







生地を選んだら次はオーダーするためにデザインを相手に伝えないといけないんだけど、これが一番の難題

俺が欲しいバッグは肩掛けの船形バッグ

日本では最近使ってる人も増えてきたけど、インドでは船形のバッグは使っている人も売っている店も 見たことが無い。つまりオーダーする相手に見たことも無いものを作れといってるようなものなので、できるだけ細かく詳細を伝える必要があった

しかしその方法もなく、結局付き添いでついて来たチズさんに可も無く不可でもない絵を書いてもらって、後はそれを口で説明する

俺がデザインとサイズを説明すると、いきなり裁断バサミを机の引き出しから取り出し、まるで子供が切り絵を楽しむようにバサバサとなんの躊躇もしないで生地を切り出した・・・・おいおい、生地はそれしかないんだぞ!!すさまじく不安になってきた

きり終わると、こんな感じでいいんだろう?と自信満々の顔で尋ねてくる。良くないといったら一体どうするつもりだったのだろうか?不安は募るばかり


完成は数日後で制作費は400ルピーという事で手を打ったのだが、結局出来上がったのはリシュケシュを離れる当日ギリギリ

完成品はこちら
 なんと

驚くべき完成度

生地の使いに方関しては何の注文もしていないのに、元々の柄の配置を考えて左右対称になるように製作されているし、肩掛けの部分も、縦長の形に合わせて、細長い模様の部分をしっかりと選んでくれている

そこまで求めてもどうせできやしないと思ってほっといたんだけど、見事やってくれた。その代わり、注文しておいたポケットを見事に付け忘れていた

ちなみに俺が重いものを入れすぎたせいで、後日肩掛けの継ぎ目が破れてしまったので、自分で返し縫と掛け縫いの組み合わせで頑丈に補修した

それ以外は使いやすくてとても気に入っています

そしてもう一つ製作したオリジナルアイテムがアクセサリー

俺が注文したのはセブンチャクラと呼ばれているインドではポピュラーな種類のアクセサリーで、七つの決まった宝石と決まった配置で構成されもの

俺がアメジストの変わりにスタールビーを選んだら、本来のパワーは得られないと言われたけど、そもそもセブンチャクラの意味も理解していなかったので、気にせず製作

まずは宝石選び


 光を当てると表面に星が浮かび上がるのがスタールビーの特徴

大きさやクオリティーによって値段がまちまちなんだけど、俺が選んだのはちょっと大きめの5000ルピーの石

それとペリドット イエロートパーズ ガーネットサファイア あと忘れたけど全部で7つの宝石と制作費を入れて7200ルピー

完成品がこちら

 ん~ちょっと微妙かな・・・・

まぁこんな感じでリシュケシュでの時間はゆっくりとガンジス川の流れと共に流れていった・・・

 リシュケシュのスイーツ?
 服が余計汚く見えるマネキン

 暑いときに最適な炭酸生レモン

リシュケシュは水が綺麗だから大丈夫だけど、地域によっては病院送りになるくらいの食中毒になることもあるので注意

さぁそろそろリシュケシュを出るかな・・・・

 さよなら~

2013年10月13日日曜日

ヨガを2週間ちょっとやってみて理解した事

リシュケシュの滞在も長いもので、はや2週間が経過しようとしている。こんなに長く同じところに滞在したのは旅に出てからはじめてである

今日はちょっとヨガをやってみて思ったこと気がついたことを真面目に綴って見ようと思う

以前の日記にも書いてるけど、俺がリシュケシュで主に通っていたヨガはヨガビニ(YOGA VINI)とい
う日本語ペラペラなVINI講師が勤めている教室


一クラス200ルピーで一日朝2つの夕方一つの3クラスのハタヨガクラスが開催されている

俺は毎日通っていたけど、一日一回だったり二回だったりとまちまちで、たまに他のアシュタンガークラスにも通っていた

クラスは一齣2時間で200ルピー(350円)。日本のそれと比べると格段に安いのが解る。だからこそ毎日通うことができるのだ

人間の体は一朝一夕で簡単に変わるものじゃないのはスポーツを十数年やってればわかる。例えヨガを2週間やったところで体がそう簡単に変わるはずもない。少し柔かくなったけど、それは体が本来の柔かさを取り戻しただけで、柔軟になったわけじゃない。本当に変えたければ数年単位で続ける必要があるだろう

しかし、たった2週間でも今まで気がつかなかった自分の体の事が見えてくる

ヨガは様々なポーズを長時間キープすることによって、全身の間接という間接から筋肉まで徹底的に伸ばしていく

故に自分の体の柔かい部分や硬い部分を発見することができるのである

俺の場合は元々体は柔軟な方だったんだけど、特に腰周りが柔かい。唯一ビニに誉められたポーズがブリッジっぽいやつ?(名前は知らないけど) 逆に硬いのが肩まわり。これは人並み以上に硬いかも

俺がどうしてもできそうもなかったポーズ。暇な人はやってみて。

まず、座禅を組む。アグラを組むのではなく、両足がクロスして太ももの上に乗った状態。これすらできない人もいるけど、その場合は問題外。座禅が組めたら次に両腕を背中でクロスさせる。そのままクロスさせた状態で、右手で右足の親指を掴み、同様に左手で左足の親指を掴む。同時に。俺はここまででアウト。

上記のポーズが完成したら、そのままのポーズで胸を前に突き出すように体を頭が地面に着くまでゆっくりと倒す・・・・ってかこんなんできる奴いるのか??

肩の硬い俺には到底無理だった。できそうな気もしなかった。ちなみにこれはアシュタンガーヨガのポーズ

こういう特殊なポーズを除けば殆どのポーズがその場でなんとなく簡単にマネできる

最初はそう思ってたんだけど、ヨガの理解からすれば、恐らく俺なんてどのポーズもまともにできてなんていない。なんとなくマネするのは簡単なんだけど、あくまでなんとなくであって、求められているバランスや体の重心、深い理解には到底2週間では及ばない

何年もヨガをやっている人が横でやっているのを見るとそれがよくわかる



 こういうのよりもっと地味なやつが難しかったりする

そして本題に入るんだけど、もう一つ気がついたこと

毎日体の間接を限界まで延ばしていると、スポーツで昔痛めた古傷がちょっとずつ再燃してくる

足首や肩、膝 首 手首

これ即ちサイン

もし今もう一度ボクシングを始めて、激しい練習をしようものなら、それぞれ時間差はあるものの、今痛みを帯びてるとこ全てが更なる痛みを帯びるのはわかり切っている。そんな状態で練習なんて続けられるはずも無い

もう自分の体は気がつかないうちにボロボロになっていたんだ

もう自分の体では激しい運動はできないんだ

それすなわち選手生命はとっくにの昔に終わっていた

日本を出るときの心残りの一つがまだボクシングを続けられた。たまに凄いやりたくなる。旅と天秤にかけてもやっぱボクシングかな

そんな事でずっともやもやしてたんだけど、永遠の命を手に入れた老人が死の宣告を受けるようになんだか身も心もスッキリした。やっと死ねる やっと辞めれる やっと捨てれる やっと、やっと、堂々と忘れられる

それとビニに頼まれたから簡単に宣伝するけど、ビニの教え方は他の教室と比べるとかなり丁寧で、ヨガのベテランから見ても教え方がとても上手いらしい(これは本当)

ただ、かなり本格的なんで、ちょっとツーリストが遊び感覚で来たりするには向いていない

ビニのクラスは2時間かけても、最初のお祈りみたいなのから太陽礼拝だけで30分かけてじっくりやり、その後も5~7種類程度のポーズをじっくりやっていく。他のとこならおそらくこの2倍は消化するだろう

そしてこの俺こそまさに遊び感覚で通っていたツーリストだったので、実は結構退屈だった

それはビニにもばれていて「ヨガ嫌いなのによく2週間も続いたね~」と最後に言われてしまった

それでも昼のクラスが終わった後に遊びに行くと、いつも無料で昼飯に混ぜてくれたり、兄ちゃんは兄ちゃんでリシュケシュ出る時、わざわざ村まで迎えに来てくれてバイクでバス停まで送ってくれたりと、ビニ兄弟にはかなりお世話になりました



例え遊び感覚だったとしても、リシュケシュに来たら是非一度ヨガビニに足を運ぶことをお勧めします

2013年10月11日金曜日

ヨガ以外でする事

リシュケシュはヨガ以外やる事がない場所とよく言われているが、ヨガをやらないインド人観光客で毎日ごった返すくらいなのだから、さがせばやる事はいくらでもある

リシュケシュでの最初の一週間は主に英語ペラペラで麻原しょうこうのようなぼさぼさな頭の中でカメムシを飼っているバックパッカータイシ君と、ヨガビニでインストラクターをやっている自称安く無い男ケン君の3人で行動することが多かった

マーケットに行く。ビートルズアシュラムに行く。テンプルにヒマラヤと朝日を見に行く。ガンジス川でラフティングする。滝を見に行く。酒と肉を手に入れる。

どれも大した事はしてないんだけど、朝ヨガやって夕方ヨガをそれぞれ2時間ずつやると、意外と間にちょっと予定を入れるだけで一日があっという間に終わってします。リシュケシュの村も夜は早く、10時も過ぎると町は夜の帳と共に眠りに落ちるのだ

この中で特にフォーカスを当てたいのがラフティングとビートルズアシュラム

ビートルズアシュラムとはその昔ビートルズが瞑想の教えを受けるために、メンバー5人とその家族や取り巻きで約一ヶ月滞在したシュラムで、今は閉鎖されていて観光資源の一つとなっている。実際ビートルズは一日5時間の瞑想以外は自由な時間だったんだけど、酒もないし食事も口にあわないやることもないでドラッグ漬けになっていたらしい

そのアシュラムまでは俺の滞在している村から徒歩一時間ほどで、ガイドブックには管理人に一人50ルピーも握らせてやれば中に入れてもらえると書いてあるのだ

その日いつもの3人でビートルズアシュラムまで歩いていった。ガンガー沿いを歩き元々田舎の風景が更に山と緑が増し、太陽の光がガンジス川に反射して銀紙のようにひかっている

ビートルズアシュラムを少し森に入ったとこにポツンと入り口の門が佇んでいて、中に元アシュラムだった建物が並んで見える。森の中だけ妙に蒸し暑い

その門から見えるのは管理にらしき人影と、警察っぽい服を来た人が数人見える。いつもは管理人しかいないらしいんだが


早速タイシ君が交渉を始めるのを俺とケン君は遠巻きから見ていた。得意の英語でまくし立てるのだが、なにか様子が変である。どうやら管理人は英語を理解できてないらしい

それでもタイシ君はまくし立てるものだから、管理人の顔は段々険しくなり、大きな声で500ルピーと聴こえてきた

どうやら一人500ルピーと言われてるらしい。多分500ルピーが欲しいんじゃなくて入れる気がそもそも無いのだろう。それでもタイシ君は交渉を粘り埒が明かないと悟ったのか最後に必殺のヒンドゥー語タンタンゴーパール(一文無し)を使った

そうしたら管理人が終にぷっつんしたのか怒鳴り始めて500ルピー無いなら帰れと聴こえて来た。もう駄目だろう。それでもタイシ君が頑張っているので俺も後ろからシュラムの中の管理人の声が聞こえて来る方に石を3発くらい投げ込んだら、更に怒鳴り声が聞こえてきたので諦めて引き上げた

その後に行ったアルゼンチン人は交渉して普通に50ルピーで入れたらしい。っていうかビートルズアシュラム行って中に入れなかったなんて話を聞いたことがない

これは完全にタイシ君の交渉能力のせいであろう。タイシ君のせいで中に入れなかったんだ!!これはケン君も同じ見解である。もう一度言っておこう、俺たちはタイシ君のせいでビートルズアシュラムに入れなかったんだ!!

愚かな管理人とのバトルのせいですっかり汗でぐしょぐしょになった俺たちは帰りにガンジス川で水浴びをした。沐浴ではない。入ってみると改めてその流れの強さがわかる。手で押えてないとパンツを持っていかれそうになる。ここでパンツを失うと下半身裸で帰ることになり、後にリシュケシュの怪人と呼ばれ伝説になる事は間違いないであろう


ビートルズアシュラムを見学したいなら、横柄な態度は控えましょう


ガンジス川でのラフティング。この響きだけで一生の思い出になりそうである

実は海外に出る前に日本の長良川でラフティングをした事がある。その時の料金がオフシーズンだったので安かったんだけど、それでも食事つきの半日ツアーで8000円くらい。他の東南アジアでやっても3000~5000円位はする

それがここでやると半日で一人300ルピー(450円)

ヨガビニの講師ビニの兄貴が知り合いのツアーカンパニーに口を利いてくれたのもあるけど、そうでなくても400ルピー程度。しかもガンジス川というロケーションでこの価格は破格である

ヨガビニの他の生徒のオージーとアルゼンチン人と日本人を誘って、それにビニの兄貴を加えた7人で参加した

たまに人が流されて死ぬという話だけど、実際参加してみると安全管理も日本のそれと同程度のクオリティーだし、日本にはない救助用のミニカヌーも常に並走している

流れは激しいところもあるけどボートがひっくり返るほどではない。それでも長良川よりは激しくて面白い

総合的にみてこれで300ルピーは安すぎる。日本のワンコインパーキング一時間分の値段でこのクオリティー。ちなみにタイシ君はそのままバラナシまで下っていくらしい さよなら 涙

テンプルでのサンライズは数人でジープをチャーターして朝の4時に出発する予定になっていた

ほぼラフティングと同じメンバーでの計画だったんだけど、当日の夜発起人のオージーから連絡があってドタキャン

朝の4時に起きると外は土砂降り

結局待ち合わせ場所に現れたのはタイシ君だけだったらしい・・・・

そして最後は肉と酒  酒口肉林

インドではそもそも肉と酒を手に入れるのが難しく、特にアルコール類は場所によっては完全に禁止されていたりする。リシュケシュには肉を出すレストランなんて存在しないし、酒は見つかると警察に捕まるレベルでタブー視されている

はっきり言ってビールを買うより大麻を買う方が簡単で安全なのである。そのせいか何処のレストランやホテルでも大麻の匂いがひっきりなしに漂っている

タイシ君の最後の夜、俺たちは酒と肉を試みた

リシュケシュに詳しい日本人に肉を出している「ビストロ ニルヴァナ」と言うレストランを教えてもらい、その近くの売店で合言葉を言うとビールを売ってもらえると言う怪しい情報を仕入れた

レストランまでは村から片道徒歩で30分程度

売店で合言葉を言うと売店のオッサンの眉が細まり「ビールが欲しいのか?分かった。可能だ。でも、誰にも言うなよ」と言い、冷蔵庫を開け、コーラの束をおもむろにどかしかと思うと、間からビールが出てきた

そのビールをレストランにこっそり持って行き、俺たちはリシュケシュでタブーとされている肉と酒を心行くまで楽しんだ

禁止されていると思うと余計に旨く感じるもんだぜ

2013年10月7日月曜日

リシュケシュでヨガ三昧

「あのいらないペットボトルとかありますか? 俺明日ガンジス川をラクシュマンジュラの橋からその橋の先までペットボトルで下ろうと思ってるんですけど!!」「はぁ??」

俺がリシュケシュで仲良くなった友達の何人かで、リトルブッダという川沿いにあるレストランカフェでチャイを飲みながらガンジス川をのんびりと眺めてるときにこんな事を言ってペットボトルを集めに来た日本人がいた

彼の名前は覚えていないがまだ10代の大学生でこの事件の顛末の結果、俺たちの間では「おおばか野郎」と呼ばれることになったので、ここでは仮に「B君」としておく

なんでもB君の話を詳しく聞くと、ペットボトルを集めて、それを紐でくくって座布団のような形に作って、それでガンジス川を下ると言うのだ

ちょうどこの時期はモンスーンも通り過ぎ雨期明けの時期、川の水量は一年の間でも最も多く流れも早い。ちょうど俺が来た次の日からラフティングが解禁になった日でもあったのだ

でも俺はその挑戦が愚かかどうかの判断がこの時点ではつかなく、「ぺっとボトル何本でやろうとしてるの?」「いや~今の時点で10本くらい集まってるんで、明日までに20本集まればいいんですけど」

「あ~それはちょっと無謀じゃない?100本くらい集めた方がいいよ」「いやーでも明日までにやりたいんで~」

既にやる事前提で話はすすみ、俺だけではなく誰も止めようとしない。と、いうよりは誰も彼の話を本気にはしていなかった。どうせやらないだろうと。誰しもがそう思っていた

しかし、次の日彼はなんの予告もなく、一人の付添い人を川の下流に待たして、たった20本のペットボトルを座布団型に紐で固定して決行したらしいのだ

バカって素敵

座布団型に作られた舟と呼ぶにもおこがましいペットボトルのオブジェは、彼を乗せて川に浮かび上がったと同時に沈み始めた。よくよく考えたら当たり前の話だ。計算すればすぐに分かる事。

ペットボトルと言っても一本一リットル。浮力20リットル分の空気で体重60キロを超える人間を支えられる筈はない。ビート板で世界一周しようとしてるようなものだ。

しかし、B君はすぐさま体制を変えて、腹の下にペットボトルを突っ込んで体が元々持っている浮力にプラスするような形で浮かんで流され始めた

この判断は中々だが、他にも諦めると言うベストな判断があった筈だ。おおばか故の判断であろう

ガンジス川は見た目は穏やかに見えるが、川幅の狭いところではラフティング用のボートでもひっくり返ることのあるくらい荒れている

川の真ん中程まで流されたB君のペットボトルのオブジェは電光石火の速さで瓦解、浮力を失ったB君はガンジス川にいいように弄ばれた挙句、下流に流され始め、そして溺れ、近くに浮いていたラフティング用のボートに救助された

その後警察に逮捕され、事務所まで連行

散々説教された後、パスポートのコピーをとられ、次やったら豚箱に5年ぶち込んでやると脅されて釈放されたらしい。*リシュケシュのガンジス川は、釣と遊泳は禁止されている

もしFNNの安藤キャスターがいたら「いやーー呆れましたねーー!!」とコメントされること間違いなしの大バカ野郎である

ちなみにB君は俺の友達ではなく、ただの知り合いである。ここははっきりしておきたい

インドは少し大きな街に行けば何処でもヨガスタジオがあるくらいヨガはポピュラーなものだが、ここリシュケシュはヨガ発祥の地。石を投げればヨガ講師に当たると言うくらい、周囲はヨガ教室やアシュラムだらけ








何処を選んだらいいのかも一苦労










リシュケシュに来るツーリストの多くはヨガが目的で、そうでなくとも経験としてヨガをやっていく人は多い。その理由のひとつが1クラス2時間で200ルピー(350円)と言う破格な相場。他にも、一日数時間のヨガクラスと宿泊3食付のアシュラム(ヨガ道場)に入って、ヨガを本格的に学ぶ人などもいる

俺は日本でヨガをやったことは無いけど、聞いた所によると一回で3000円近くするのだとか

だからここでは滞在してる間は毎日ヨガに通うのが当たり前のようになるのだ

実はリシュケシュにはフィリピンの学校時代の友達チズさんがヨガの修行で長期滞在していて、数あるヨガクラスの中から何処を選んだらいいかわからなかった俺にあるヨガ教室を紹介してくれた
 その名もYOGA VINI

名前の通りVINIと言う日本語ペラペラの講師がやっている教室

そのせいか生徒も日本人が多い

 リシュケシュはインド人の観光客の集団が毎日のように大挙して押し寄せるのだが、ヨガクラスでインド人を見たことは一度も無い。100%外国人ツーリストでその殆どがイスラエル人

ヨガビニも例外ではない

クラスも白人が多いときは英語で、日本人が多いときは英語と日本語のミックスで行われてるが、ビニ本人は日本人の生徒にもっと来て欲しいらしい

俺は毎日ここの教室に通って朝2時間夕方の2時間、一日4時間のヨガをやっている

朝があって夕方あってたまにサボったり、友達ができたり、まるで中学の部活のように、退屈することの無いリシュケシュの生活が始った

2013年10月3日木曜日

ヨガの生まれた町リシュケシュに向おう

朝7時半のダイレクトバスでデリーまで行って一泊、次の日の朝にリシュケシュに電車かバスで向う。無駄の無い完璧な計画

最近悪い夢をよく見る

爪が剥がれる夢、友達とバイクを2台借りて2台とも盗まれる夢、ケツが便器に嵌って抜けなくなる夢、などなど

俺が目を覚ましたのは8時、ダイレクトバスは既にデリーに向って出発した後だったが、ケツが便器に嵌って抜けなくなるよりはマシだと思った

プシュカルには大分滞在したし、ブラニーも同じ日の朝にジャイプルに向けて出たし、もはやこの町にこれ以上滞在する意味も無い。だめもとでとりあえずバスターミナルに向ってみた。ちなみにバスは予約してたわけではないので、損はしていない。予定が狂っただけだ

プシュカルのバス亭から近くの大きな町アジメールに向かった

そこで今日中にデリーに行く方法はないか尋ねると、ローカルバスを乗り継いで行けば行けるとの事

既に発車していたバスを追いかけて飛び乗った。始発なだけあってまだ席は空いていた。サリーを着たふくよかなおばさんが隣に座れと座席を叩くのでそれに従う。

ローカルバスなのでもちろんACなんてない。窓は常に前回で開けっ放し、サスペンションンにはバネの変わりにチューインガムでも突っ込んでいるのではないかというくらよく揺れる

小さな段差で黒ヒゲ危機一髪状態、しかも正解の穴は一つではない、剣を突き刺すたびに飛び上がる文字通りの出欠大サービス。全ての剣を指し終えるころには黒ヒゲも血だらけである。その黒ヒゲに形容しているのはおれ自身の事なんだが・・・・








真ん中にひびの入ったローカルバス









数本のバスを乗り継いで14時間後にデリーのバスターミナルに着いた


バスターミナルから安宿街のあるメインバザーは結構遠い。実はデリーで友達と会う約束をしてたんだけど、なにやらトラブルがあったらしく今回は会えない。面倒くさい、リシュケシュ行きのバスもちょうどターミナルにとまってるし、このままいっちまうか

リシュケシュへ

真夜中でもバスの乗車率は100%超え

バスの乗客も少なくなってきた頃にベンチのように硬い座席に横になるが寒くてねれない。窓を閉めても振動で数分後には勝手にオープン。上手くできている

ハリドワールで乗り換えてリシュケシュに着いたのは朝方の4時、結局一睡もせずにローカルバスを6本乗り継いで20時間

こうやっていかにも大変な移動だったように書いては見たけど、実際はなんて事はない。一年近くもアジアをうろついていたせいかこういう移動を苦に感じなくなっていた

ガンジス川の上流に川を挟むようにして集落を形成しているリシュケシュ。ここの両サイドにはヨガのアシュラムやツーリスト向けのレストランやみやげ物屋、ゲストハウスなどが固まっている

朝の5時にうっすらとレースのカーテン越しに見るようにまだ霧がまどろむ中宿を探す。まだフロントが開いていない宿もたくさんある中、ガンガービューでホットシャワーの出る宿に200ルピーでチェックインした(350円)

こうしてみるとリシュケシュの宿の物価はラジャスターン地区に比べると大分安い。長期契約や少しランクを下げると100ルピーくらいから泊まれる宿も沢山あるのだとか

この町には学校以来の友達もいるし、ヨガも安くできるし、やることも沢山あるし、なによりも居心地がいいと評判だ

少々滞在が長引くかもしれない